改訂新版 世界大百科事典 「教育計画」の意味・わかりやすい解説
教育計画 (きょういくけいかく)
一定の教育目標を設定しその実現のための段取りを設計するこころみは,一学校規模から一国の教育政策レベル,あるいは生涯教育や文盲解消とか婦人の差別撤廃と権利擁護などの個別課題をめぐる国際的なレベルにおけるものまで多様である。また教育計画には,教育活動の計画化に限定したものにかぎらず,いわゆる村づくり運動から一国の経済社会計画にいたる,産業振興とかかわる社会計画における教育計画,環境や平和の擁護にかかわる,人類の生命と安全を守る思想運動的社会計画の中における教育計画もある。狭義には教育課程の組織化に限定される場合もあるが,一般的には何らかの社会経済的危機や重大問題が生起したときに,長期的な展望をもつ人材養成計画として策定されるのがふつうである。
日本の場合,第2次大戦前には日露戦争後の社会不安増大に対応して推進された地方改良運動や通俗教育調査委員会の設置がみられ,第1次大戦後は社会主義国誕生の影響とデモクラシー思想の高揚に対応する形で組織された臨時教育会議,昭和恐慌期の農村疲弊のひろがりのもとで組織された農村更生運動など,国民教化的な意味での教育計画であったといえよう。戦後,新教育に移行して1940年代末ころまでは,教育改革理念の定着をめざし,地域の実情と住民の要求にそう地域教育計画のこころみが行われ,埼玉県の〈川口プラン〉,広島県の〈本郷プラン〉などは,自治体や住民と教育研究者の協力のもとですすめられてひろく知られた例である。朝鮮戦争後の産業界の強力な復興と教育政策の展開のもとでは政府・財界主導の教育計画がすすめられ,1960年代,安保闘争の危機をのりきった後の人的能力開発政策の潮流は各自治体をおおい,農業中心の後進県から工業中心の先進県への脱皮をはかるために児童・生徒の個性的な発達を犠牲にした人材育成計画が数々の矛盾をひき起こしていった。歴史的にみると社会経済計画上の目標が先行することの多かった日本において,一学校一地域のみで実現をはかる教育計画の蓄積をたいせつにしながらも,求められている国民的資質の内実を国民的な努力で明らかにしながら,本格的な教育計画をつくる必要にせまられているといえよう。それには,国民の中に自主的で民主的な教育実践創造運動,ゆたかな文化運動,広い視野に立つ子育て運動がひろがり,発展がみられなければならない。とくに生涯教育論・学習社会論が,その組織化の主体を明らかにしないままに,新しい時代の教育計画であるかのように論じられているだけに,それは不可欠のものといえよう。
執筆者:島田 修一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報