明治~昭和前期の文官の身分保障に関する勅令。政党勢力の官吏への影響力を弱めるため,1899年(明治32)3月第2次山県内閣が改正文官任用令・文官懲戒令とともに公布した。文官の免官・休職・転職にかかわる法手続きを規定。官吏は心身故障・過剰定員・依願の場合以外は免官となることはなく,刑事事件による告訴・告発や懲戒審査,官庁事務上の都合などが休職の事由とされた。官庁の都合による休職規定は,政党内閣や第2次大戦の戦時体制下で政治的に利用された。戦後の1948年(昭和23)廃止。
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…第3に1893年文官任用令の制定により,奏任官は文官高等試験(高文)の合格者から任用される原則が確立され,官吏のリクルートの制度化がなされた。第4に1899年第2次山県有朋内閣における文官任用令改正により,勅任官の自由任用は廃止され親任官以外の勅任官は原則として一定の有資格者に限定され,同時に文官分限令制定により文官の身分保障制が確立された。翌年官吏制度に関する勅令はすべて枢密院の諮詢を要するよう改められた。…
…懲戒が公務秩序の維持を目的とする制裁であるのに対し,分限は,公務の能率的運営の確保を目的としている点で異なっている。旧憲法下では,文官分限令(1899年公布の勅令)に基づいて行われた官吏の身分上の変動(免官,休職,転職等)の総称であった。 分限制度について,国家公務員法は75条以下(地方公務員法では27,28条)で定めているが,公務員の意に反する身分上の変動は法律または人事院規則に定める事由による場合でなければ行いえないとして,分限制度は公務員の身分保障の意味も有している。…
…なお日清戦争と日露戦争の結果,植民地領有国となった日本は,1896年の〈台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律〉および1910年の〈朝鮮ニ施行スヘキ法令ニ関スル件〉により,植民地法制を展開した(植民地法)。統治機構については,山県有朋内閣は,1899年の文官任用令の改正,文官分限令,文官懲戒令の制定,軍部大臣現役武官制の実現により,政党を官僚制から遠ざけ,その独立性を強化した(官吏)。また統治機構を社会関係・階級関係に結びつける機構の法的保障として,1899年の農会法,1900年の産業組合法,1902年の商業会議所法などがある。…
※「文官分限令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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