文官の任用資格を定めた規定。1893年第2次伊藤博文内閣の文官任用令制定により,奏任官は文官高等試験(高文)の合格者から任用される原則が確立し,帝国大学法科大学卒業生の無試験任用の特典が廃止され,官吏任用制度が確立された。しかし,勅任官の自由任用は認められたので,以後文官任用令改正の歴史はおもに自由任用の拡大・縮小を焦点に,政党と官僚との政治的攻防の力学を示すことになる。まず藩閥と政党との提携(第2次伊藤内閣と自由党,松隈内閣と進歩党)により,勅任官への政党員の登用が増え,最初の政党内閣たる隈板内閣では政党員の猟官が最も活発化した。そこで第2次山県有朋内閣は憲政党との提携にもかかわらず,99年勅任官を原則として資格任用にすべく任用令を改正し,翌年任用令改正を枢密院諮詢事項とし政党化を阻止した。しかし政友会の伸張に伴い1913年山本権兵衛内閣は自由任用を拡大したが,翌年大隈重信内閣は山県の支持を得るため再度自由任用を縮小した。結局20年原敬内閣が自由任用を拡大したのち,政党内閣期は官僚の政党化が進み,時には党弊とまでいわれた。政党内閣崩壊後の34年自由任用は縮小されるが,戦時体制に入り新設官庁の増加と下級官吏の士気高揚とのため,奏任官の特別任用が拡大し終戦に至った。第2次大戦後,官吏任用叙級令の制定に伴い廃止された。
執筆者:御厨 貴
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大日本帝国憲法下で、親任(しんにん)官以外の一般文官の任用資格を定めた勅令。1893年(明治26)10月に公布。すでに1887年7月公布の文官試験試補及見習規則によって官吏の公開選抜制は緒についていたが、任用令は官立学校卒業者無試験任用の従来の特権を廃止して任用の公平化を図るとともに、奏任(そうにん)官・判任(はんにん)官をそれぞれの試験の合格者から任用するという原則を確立した。自由任用であった勅任(ちょくにん)官に対しては、その後政党の猟官要求が激しくなったため、99年第二次山県有朋(やまがたありとも)内閣は、政党勢力の侵入を防ぎ、官僚の上下の厳格な秩序を確保するために、勅任官も一定の有資格者に限る趣旨の改正を行った。大正期に入って、政党の政治への発言力増大に伴い、ふたたび改正が行われ、自由任用の範囲が一部拡大された。第二次世界大戦後にこの勅令は廃止された。
[大島美津子]
1893年(明治26)10月に公布された一般文官任用資格に関する勅令。87年に文官試験試補及見習規則が制定され,官吏の試験任用が原則となっていたが,大日本帝国憲法の制定,第2次伊藤内閣の行政整理をうけて試験任用制度の整備をはかった。奏任官は高等文官試験,判任官は文官普通試験による任用とする原則を強化し,帝国大学卒業生の高等試験免除は廃止されたが,官公立中学校卒業生の普通試験免除は存続した。勅任官については自由任用を原則としたため,政党勢力の進出がみられた。そこで99年第2次山県内閣は文官任用令改正により特定の官職以外の勅任官については,奏任官からの登用を原則とする資格制限を設けたが,護憲運動を背景とする第1次山本内閣で特別枠拡大の改定がなされた。その後も藩閥政府と政党との綱引きがくり返された。第2次大戦後の1946年(昭和21)廃止。
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…つまり官吏を高等官と判任官とに分け,高等官をさらに勅任官と奏任官とに分け,勅任官の中に親任官が設けられ,親任官を除く高等官全体を9等に分かつ制度であった。第3に1893年文官任用令の制定により,奏任官は文官高等試験(高文)の合格者から任用される原則が確立され,官吏のリクルートの制度化がなされた。第4に1899年第2次山県有朋内閣における文官任用令改正により,勅任官の自由任用は廃止され親任官以外の勅任官は原則として一定の有資格者に限定され,同時に文官分限令制定により文官の身分保障制が確立された。…
…
【日本】
日本の官吏制度は,明治憲法の制定と国会開設に備えて,明治中期より整備されていった。明治憲法下における官吏制度を規定するものは,明治憲法10条の天皇の官制大権と任官大権に基づき議会の協賛を必要としない勅令によって制定された文官任用令,文官分限令,官吏服務紀律等であった。こうして官吏は天皇への忠誠観念によって義務づけられた天皇の使用人であった。…
…すなわち,その前年に設立された帝国大学卒業生には,無試験で奏任官試補に任用される特権を認めていた。しかしやがて国会が開設され,多数を占めた野党からの非難が激しくなるとともに,93年に〈文官任用令〉〈文官試験規則〉が公布され,これ以後,高等試験合格者のみが奏任官に任用されることになった。しかし予備試験の免除と帝国大学教授を中心とする試験委員制,さらに法律知識中心の試験のため,事実上,帝国大学(とくに東京帝国大学)法学部出身者が圧倒的に多く合格した。…
…なお日清戦争と日露戦争の結果,植民地領有国となった日本は,1896年の〈台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律〉および1910年の〈朝鮮ニ施行スヘキ法令ニ関スル件〉により,植民地法制を展開した(植民地法)。統治機構については,山県有朋内閣は,1899年の文官任用令の改正,文官分限令,文官懲戒令の制定,軍部大臣現役武官制の実現により,政党を官僚制から遠ざけ,その独立性を強化した(官吏)。また統治機構を社会関係・階級関係に結びつける機構の法的保障として,1899年の農会法,1900年の産業組合法,1902年の商業会議所法などがある。…
※「文官任用令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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