平安前期の武将、官人。三室朝臣(みむろのあそん)大原(おおはら)の子。近衛将監(このえしょうげん)、出羽権守(でわのごんのかみ)、播磨(はりま)守、右京大夫(たいふ)、左大舎人頭(ひだりのおおとねりのかみ)などを歴任。809年(大同4)三山(みやま)朝臣と改め、さらに文室真人(まひと)に改姓、兵部大輔(たいふ)となる。翌年薬子(くすこ)の変では、初め平城(へいぜい)上皇側にあったため禁固されるが、武芸を惜しむ坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の献言により許されて参議正四位上となり、さらに大蔵卿(おおくらきょう)陸奥出羽按察使(むつでわあぜち)を兼ねた。811年(弘仁2)と813~814年には征夷(せいい)将軍となり、陸奥出羽両国兵1万余人を動員して尓薩体(にさて)、幣伊(へい)両村の蝦夷(えみし)を攻略した。この時期に両国の兵制改革、百姓賑恤(ひゃくせいしんじゅつ)、蝦夷移配対策を種々献策して奥羽社会の律令(りつりょう)化を図った。818年中納言(ちゅうなごん)に進んだ。承和(じょうわ)の変(842)で左降された参議検非違使(けびいし)別当文室秋津は弟である。
[弓野正武]
『高橋富雄著『蝦夷』(1963・吉川弘文館)』▽『新野直吉著『古代東北の開拓』(1969・塙書房)』
平安前期の官僚。文室浄三の孫。三諸大原の子。795年(延暦14)三諸綿麻呂として従五位下に叙され,その後,近衛将監,近江大掾,出羽権守,近衛少将,播磨守,侍従,中務大輔,右兵衛督,右京大夫,左大舎人頭をへて,809年(大同4)に三山朝臣を賜り,左兵衛督,大膳大夫となり,さらに文室真人を賜って兵部大輔となった。810年(弘仁1)薬子の変のとき,はじめ平城上皇に従い,禁固されていたが,綿麻呂が武勇の人であるとする坂上田村麻呂の願い出により許され,参議となり,上皇が東国へ向かう道を阻止する軍に参加した。翌年征夷将軍となり,蝦夷の拠点を攻撃して帰京し,従三位となった。その後も陸奥出羽按察使を兼任し,816年右近衛大将,翌年兵部卿をへて,818年中納言となった。
執筆者:勝浦 令子
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(瀧浪貞子)
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765~823.4.24
平安初期の東北経営に活躍した武将・公卿。文室浄三(きよみ)(智努王)の孫。三諸(みもろ)大原の子。はじめ三諸朝臣,809年(大同4)三山朝臣,さらに文室朝臣。810年(弘仁元)の薬子(くすこ)の変で平城上皇側について拘禁されたが,坂上田村麻呂の奏請で許され,参議となって上皇の東国入りを阻止。翌年征夷将軍となり陸奥国の征夷事業を完了させ,従三位に昇った。818年中納言となる。
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