南北朝時代の武将。新田義貞(よしさだ)の嫡男。通称小太郎。『鑁阿寺(ばんなじ)系図』によると、母は北条得宗家御内人(とくそうけみうちにん)、安藤重保(しげやす)の女(むすめ)。父義貞が討幕の軍功によって建武(けんむ)新政権の武者所頭人(むしゃどころとうにん)に任ぜられたため、その下で武者所の寄人(よりゅうど)を務めた。1336年(延元1・建武3)義貞征伐を名目に建武政権に反旗をひるがえした足利尊氏(あしかがたかうじ)が京都を占領した時点で、義貞に伴い北陸に敗走。勢力の立て直しに努めた。しかし足利方の斯波高経(しばたかつね)、高師泰(こうのもろやす)らの大軍に包囲され、越前(えちぜん)金ヶ崎(かながさき)城(敦賀(つるが)市金ヶ崎町)に孤立。翌37年3月6日兵粮(ひょうろう)欠乏により陥落。父の脱出後、尊良親王らとともに自害した。一説によると、わずか18歳であったと伝えられる。
[海津一朗]
(伊藤喜良)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新