新聞を直接の媒体とする広告のことで,折込みチラシなどは含まない。日本の新聞は宅配制度が発達しているために,新聞広告は比較的安定した多数の読者が広告の受け手として期待され,また全国紙,地方紙などと新聞によって配布域が区分されているため,広告対象地域を定めやすい。また詳報性や記録性の点では放送媒体とは一線を画し,単位当りでは比較的低コストで利用できる。
新聞広告の起源は,17世紀前半のイギリス,オランダなどの《ニューズブック》などにも求められるが,1650年イギリスの新聞《完全な日録》に載った,盗まれた馬捜しの懸賞広告で,新聞広告料金をとったことが確かめられている。日本では1861年(文久1),長崎在住のイギリス人A.W.ハンサードが《ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー》という日本最初の英字新聞を発行し,第1面を広告ページとした。邦字新聞では,《横浜新聞》(1863)が,翻訳紹介のかたちで初めて広告を掲載した。さらに同じく横浜で発行されたイギリス人牧師B.M.ベーリーの《万国新聞紙》(1867)もニュースとともに外国人からの広告を載せ,この第3集に日本人最初の広告主,中川屋嘉兵衛の〈パン,ビスケット,ボットル〉の広告を掲載した。《万国新聞紙》は当時〈迷子,欠落,拾い物,盗まれ物及び読売物等すべて広く世に弘め〉と社告によって広告を募集しているが,まだ料金の定めがなかった。広告料金は69年(明治2)の《中外新聞》(1868)に初めて記載があり,翌70年刊行の《西洋聞見録》には,広告は〈その行数の多少に応じて料金を定める〉とあるので,有料広告の掲載は70年ころまでに固まったものと思われる。《新聞雑誌》の別冊付録《新聞大意》(1873)は初めて新聞経営上における広告収入の重要性を説き,福沢諭吉もみずから経営する《時事新報》紙上において広告の獲得によって政党派閥から新聞を独立させうると説いているが,他方で,その経営する《民間雑誌》などで売薬の誇大広告の弊害について論難している。イギリスの《タイムズ》は,長い間,第1面を案内広告ページとしていたが,日本でも1886年以降日中戦争前まで,東京の有力紙は朝刊一面全ページを書籍の広告に開放していた。
現在の日本の新聞社の平均的な収入構成は,広告収入がほぼ40%を占め,販売収入とあわせるとほぼ90%に達し,新聞経営の主要な柱となっている。なお広告掲載にあたっては,日本新聞協会制定の〈新聞広告倫理綱領〉(1958年制定,76年改正)に基づき,各社はそれぞれ基準を設け,誇大広告や不正広告によって読者に不利益を与えないよう努めている。
→広告
執筆者:小倉 重男+島守 光雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…〈広告〉という語は1872年(明治5)ころから新聞に散見され,87年ころから一般に使用されるようになったといわれる。江戸時代の振売(ふりうり)の口上(こうじよう)が引札(ひきふだ)(ちらし)を経て新聞広告などへ発達してきたものである。 広告と同じような意味で用いられている宣伝という語は〈ある主張・商品の効能などを多くの人に説明して,理解・共鳴させ,ひろめること〉(《広辞苑》)とあるように,本来はプロパガンダpropagandaに相当する語である。…
…今日多くの新聞社がこの特例法を適用しているが,この制度は資本を外部に握られることを防いだものの,一面では増資による資本調達の道を狭くし,金融機関からの借金に依存する経営形態をとらせることとなった。新聞広告
〔新聞の歴史〕
【世界】
一般に新聞の起源は,紀元前59年ローマの執政官になったカエサルの命令によって,元老院の議事録を《アクタ・セナトゥスacta senatus》,民会の決議を《アクタ・ポプリacta populi》として公示したこととされる(《アクタ・ディウルナ》)。これらはいわば一種の公報で,新聞類似物にすぎない。…
※「新聞広告」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新