デジタル大辞泉
「新見正興」の意味・読み・例文・類語
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しんみ‐まさおき【新見正興】
- 幕末の幕臣。豊前守、のち伊勢守。通称房次郎。安政六年(一八五九)外国奉行となり、翌年日米修好通商条約の批准交換の正使として渡米。のち側衆。文政五~明治二年(一八二二‐六九)
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新見正興
しんみまさおき
(1822―1869)
幕末期の幕臣、日米修好通商条約批准のための遣米正使。初め伊勢守(いせのかみ)、のち豊前(ぶぜん)守と称し、1859年(安政6)外国奉行(ぶぎょう)に任ぜられる。日米修好通商条約締結交渉の際、条約批准の特使派遣を提議してハリス米総領事を驚かせたという。副使村垣範正(むらがきのりまさ)および目付小栗忠順(おぐりただまさ)とともに、正使として条約批准のためアメリカに渡る。この使節は、総勢80余名で、1860年(万延1)1月22日、アメリカ軍艦ポーハタン号にて横浜を出発し、閏(うるう)3月25日ワシントンに到着した。批准書交換後、フィラデルフィアやニューヨークで歓迎され、大西洋からアフリカ南端を回り、9月27日横浜に帰着する。しかし帰国後は、攘夷(じょうい)の雰囲気のなかでアメリカの見聞を生かすことができなかった。
[池田敬正]
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新見正興 (しんみまさおき)
生没年:1822-69(文政5-明治2)
江戸末期の幕臣。1860年(万延1),日米修好通商条約の批准書交換のため,幕府がアメリカへ派遣した使節の正使(幕末遣外使節)。豊前守,のち伊勢守。56年(安政3)小姓組番頭となり,59年外国奉行に進み神奈川奉行を兼帯。60年1月,米艦ポーハタン号に乗り渡米,同年4月ワシントンで批准書を交換し,9月に帰国した。渡米の功により300石を加増。62年(文久2)側衆に転じ,64年辞職。
執筆者:小野 正雄
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新見正興
しんみまさおき
[生]文政5(1822).江戸
[没]明治2(1869).7.18.
江戸時代末期の幕臣,外国奉行,遣米使節正使。豊前守。日米修好通商条約 (→安政五ヵ国条約 ) 批准書交換のため万延1 (1860) 年渡米。村垣範正を副使とし,アメリカ軍艦に搭乗して太平洋を横断し,ハワイに寄港のあと,5月サンフランシスコからワシントン D.C.におもむき任務を果した。帰途は大西洋経由で帰朝したが,当時幕府は攘夷運動対策に狂奔していたために重用されることなく,不遇のうちに元治1 (64) 年致仕した。歌集『亜行詠』がある。
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新見正興
没年:明治2.10.18(1869.11.21)
生年:文政5.5(1822)
幕末の幕府官僚。旗本三浦義韶の子に生まれ,新見家の養子となる。嘉永1(1848)年家督相続,安政6(1859)年外国奉行となり神奈川奉行を兼ねる。9月日米修好通商条約批准交換のアメリカ派遣正使に任命され,翌万延1(1860)年1月,副使村垣範正,目付小栗忠順と共に品川を出港。太平洋を横断,パナマ地峡を汽車で抜け,海路ワシントンに赴き批准交換を行う。大西洋・インド洋を航海して同年9月帰国。文久2(1862)年側衆となるが,長州藩急進派による禁門の変ののち反動化した幕閣とあわず辞職。慶応2(1866)年隠居。幕府倒壊ののちは上総に帰農した。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
新見正興 しんみ-まさおき
1822-1869 幕末の武士。
文政5年5月生まれ。新見正路(まさみち)の養子。幕臣。安政6年外国奉行となり,神奈川奉行を兼務。日米修好通商条約批准の遣米使節正使となり,万延元年(1860)村垣範正(のりまさ),小栗忠順(おぐり-ただまさ)ら七十余名と渡米。帰国後は外国奉行専任,のち側衆(そばしゅう)になる。明治2年10月18日死去。48歳。本姓は三浦。通称は房次郎。号は閑水。
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新見正興
しんみまさおき
1822~69.10.18
幕末期の幕臣。父は三浦義韶。新見家の養子。豊前守・伊勢守。1859年(安政6)外国奉行,神奈川奉行を兼ねる。同年日米修好通商条約の批准交換のため最初の遣米使節正使となり,60年(万延元)使節団を率いて渡米し,アメリカ大統領に会見。帰国後加増されたが重用されることはなく,62年(文久2)側衆へ転じ,一線から退いた。64年(元治元)免職。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
新見正興
しんみまさおき
1822〜69
江戸末期の幕臣・外交官で,日本最初の遣米使節
旗本の子として生まれ,新見家の養子となった。外国奉行・神奈川奉行を兼任し,1860年日米修好通商条約の批准交換に正使として渡米。帰国後側衆 (そばしゆう) となり,'64年辞職。
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