日光院(読み)につこういん

日本歴史地名大系 「日光院」の解説

日光院
につこういん

[現在地名]八鹿町石原

石原いしはら集落西部に位置する。妙見山と号し、高野山真言宗。古くから西方名草なぐさ(石原山・妙見山とも)山麓に祀られる妙見社(現名草神社)と緊密な関係をもち、但馬地方における妙見信仰中核であった。また元来日光院の名は一山組織(近世には帝釈寺を号する)の本坊の名で、中世には一山は石原山、日光院は日光坊ともよばれた。

寺伝では、六世紀の頃重慶(日光坊)が妙見大菩薩を感得して草庵を結んだのに始まるといわれ、空海作ともいわれる本尊妙見大菩薩に対する信仰が当院に対する信仰の中心で、妙見霊場として発展した。文永五年(一二六八)の権律師某油畠寄進状以下、寄進状を中心に一三二通の中世文書(日光院文書)を伝え、中世の信仰や寺領の一端を知ることができる。まず守護山名氏の信仰があげられる。永享年中(一四二九―四一)山名時熙が妙見大菩薩の定灯料を寄進した。当初八太はた(現温泉町)の四分一段銭があてられていたが、有名無実となったため、文明三年(一四七一)小佐おさ郷国衙三分一の五町一反半の段銭に変更され、文明九年には垣屋豊遠、同一二年には垣屋宗続によって安堵されている。


日光院
につこういん

[現在地名]小樽市富岡二丁目

船見ふなみ坂にある。高野山真言宗。小樽高野山と号する。本尊は聖観音。北海道三十三所観音霊場第七番札所。和歌山高野山内の日光院が前身で、明治初年高野山増福ぞうふく院に合併。明治一九年(一八八六)真言信徒らが小樽市街山田やまだ町に大師堂を建てたともいう(寺院沿革誌)。同二〇年高野山慈尊じそん院の鷹尾了範が小樽に来るが、いったん高野山に戻り、同二一年再び来て真言宗布教の基をつくった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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