日常記憶(読み)にちじょうきおく(英語表記)everyday memory

最新 心理学事典 「日常記憶」の解説

にちじょうきおく
日常記憶
everyday memory

日常生活で生じる記憶現象を指す。実験室記憶研究は日常生活や現実的世界から切り離されており,生態学的妥当性に欠けるというナイサーNeisser,U.(1976)による指摘をきっかけにして,現実世界における記憶の機能的側面や実践的応用を重視した日常記憶研究が盛んになった。日常記憶研究の特徴は,第1に,記憶の機能的側面の重視(目標遂行を支える側面,たとえば,空間記憶は環境における移動を支える),第2に,日常的記憶材料の使用(例:顔・人名,買い物リスト,過去の事件・出来事,プランと行動,会話・物語,場所・地図,日常的事物),第3に,社会・文化的側面(社会的相互作用によって形成される共同記憶や想起)や感情的・動機づけ的側面(生存にかかわる進化的視点も含む)の重視,第4に,実践的応用の重視(目撃者の証言などの司法場面,加齢や障害などによる記憶能力が低下した人への支援や外部記憶の利用,広告の記憶)がある。すなわち日常記憶研究の特徴は,記憶が,豊かな文脈に埋め込まれ,人の目標,過去の経験や能力・性格などの個人差,社会・文化的要因,感情・動機づけに影響を受けることをトータルにとらえるところにある。

 日常記憶の研究手法としては,実験室研究に日常的材料を用いる手法,実験室研究にコンピュータによる仮想現実virtual realityを用いる方法,現実生活における自然実験,観察がある。また,記憶質問紙さらに社会調査,日誌研究,インタビューなどは,自己報告や内観に基づいている。日常記憶は多岐にわたり,研究領域の境界は明確ではないが,主要なトピックには,自伝的記憶,フラッシュバルブ記憶,偽りの記憶,展望的記憶,目撃者の証言,個人差(例:加齢,卓越した記憶保持者,音楽家・棋士などの熟達者),メタ記憶meta-memory(人が記憶に関してもつ知識や信念,日常的に用いる方略),記憶と文化などがある。以下に三つの主要なトピックを紹介する。

【自伝的記憶autobiographical memory】 自伝的記憶とは,自分が生まれてから現在に至るまでに経験した出来事の記憶であり,超長期記憶,エピソード記憶の一部でもある。アイデンティティと自己概念を形成・維持する機能をもつ。成人期以降に自伝的記憶の想起を求めると,どの年代の人でも青年期の出来事の想起が多いという現象がある。この現象を,レミニセンスバンプreminiscence bumpとよぶ。これはライフスクリプトlife scriptを構成する人生の典型的かつ重要なライフイベントlife event(大学入学,恋愛,結婚など)の多くが,青年期に起こるためである。これらの出来事は強い感情を伴い,意図的あるいは無意図的に繰り返し想起されやすく,アイデンティティの形成と維持を支える重要な役割を果たすため,アクセスされやすい。また,衝撃的な出来事に接したときにそのときの状況がフラッシュをたいた写真のように細部まで記憶され,時間を経ても鮮明に再生される現象をフラッシュバルブ記憶flashbulb memoryという。こうした現象の背後には,状況を鮮明に刻印するような特殊メカニズムがあるという説と,何回もリハーサルするという一般的な記憶メカニズムで説明できるという説の二つが主に考えられている。フラッシュバルブ記憶は鮮明ではあるが,必ずしも正確ではないことから考えると後者の説明の方が有力である。

 楠見孝らによると,自伝的記憶には,想起とともにノスタルジアnostalgia(懐かしさ)の感情が伴うことがある。ノスタルジアを引き起こすには,そのトリガー(引き金)になる事柄(昔のヒット曲,旧友,光景など)の反復経験と現在までの長い空白期間が必要である。また,懐かしさのトリガーには,世代や社会・文化的に共有された記憶表象(日本人にとっての田舎の田畑の風景,アメリカ人にとっての開拓時代)がある(Kusumi,T.et al.,2010)。

 また,デジャビュdéjà vuは,初めて訪れた場所や初めて会った人に対して,強い既知感とともに懐かしさを感じる記憶現象である。反対に,ジャメビュjamais vuは,既知の場所や人に対して,既知感がなく初めての場所や人のように感じる記憶現象である。

【偽りの記憶false memory】 偽りの記憶(虚記憶)とは,経験していない出来事が,鮮明に想起される現象である。強い想起意識を伴う点で,新項目を旧項目と誤判断する現実性識別reality monitoringの失敗がかかわる。DRMパラダイム(DRMはDeese,J.,Roediger,H.L.,McDermott,K.B.の頭文字である)では,主として連想関係をもつ言語材料を用いて,提示語と連想関係をもつテスト語に対して,強い想起意識を伴う旧判断が生起しやすいことを見いだしている。子どものころの偽りの記憶を植えつける手法に,イマジネーション膨張imagination inflationがある。これは,実際には経験していない子どものころの出来事(例:駐車場で千円札を拾う)について,熟知した場所や人物を入れて,鮮明で詳細なイメージを思い浮かべさせる実験操作を行なうと,その後,実際には経験していないにもかかわらず,実際に起こったという判断を引き起こすというものである。このことに関してアメリカで1990年代から社会問題になっている現象に,幼いころのトラウマの記憶の抑圧-回復repressed/recovered memoryがある。これは長い間意識的には想起されていなかった過去の虐待などに関する主観的経験が,心理療法の過程でよみがえる現象である。この場合,心理療法家が用いる催眠,イメージを促進する技法,記憶に焦点化する技法が,真偽が定かでない記憶を「回復」させた可能性があり,訴訟にまで発展することがある。偽りの記憶研究のほかの実践的応用研究として,目撃証言eyewitness testimonyがある。ここでは犯罪や事故の記憶の正確さに及ぼす要因について,多くの自然状況を用いた実験が行なわれている。

【展望的記憶prospective memory】 展望的記憶は未来のある時点や事象が起きたときに,行為の意図を想起する記憶である(たとえば,9時に電話をする,ポストを見つけたら手紙を出す)。展望的記憶はプランや意図の実行を支える機能をもつ。展望的記憶の忘却から起こる失敗にはいくつかの種類があるが,なかでも,し忘れのエラーが起きやすい。その理由は,第1に別の活動をしているときに,適切な時点で自発的に行為の意図の想起をしなければならない点,第2は,行為の内容を合わせて想起しなければならない点である。そのため,想起手がかりとして,手帳やアラームなどの外部記憶の補助を意図的に使うことが多い。

【日常記憶研究の課題】 日常記憶研究は多岐にわたり,日常生活の記憶にかかわる多くの現象が取り上げられている。しかし,一部の研究で明らかにされた事実が,一般的に起こりえないことであったり,符号化や保持における条件統制が明確でないために,知見を一般化できない場合もある。日常記憶研究と実験室記憶研究は相補的な関係をもつ。実験室研究によって明らかになった事実を,現実世界において検討したり,日常記憶研究で見いだされた事実を,統制された実験研究で検討することが必要である。また,日常記憶研究は,社会心理学との融合研究によって社会・文化的要因を取り込んだ,さらなる展開が考えられる。 →顔の認知 →記憶 →記憶術 →空間認知 →注意 →目撃証言
〔楠見 孝〕

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