日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本子どもを守る会」の意味・わかりやすい解説
日本子どもを守る会
にほんこどもをまもるかい
児童憲章が制定された翌年の1952年(昭和27)5月17日に発足。国際的にはThe Japanese Society on the Defence of Children。当時、日本の子供をめぐる情勢は、児童憲章を踏みにじるさまざまな生活、教育、文化、福祉、健康、環境のゆがみのただなかにあった。この現実を黙視できない親、教師はもちろん、働く人、青年学生、教育・文化・健康・福祉関係の専門家が主義や思想を超えて、子供の幸せのために協力し、戦争の危険から子供を守るために、日本国憲法の精神に基づいて、子供の幸福を高め、国民の間に子供を守る運動を広めることを目的としている。
運動としては、「子どもを守る国民運動」の中央推進体としての立場から、つねに政府・自治体の進める政策を点検し、地域の組織・団体と絶えず連絡、調整、調査、情報交流などの運動を進めている。おもな行事には、「子どもを守る文化会議」年1回、「子ども月間」5月3日~6月1日、「子どもの人権集会」11月20日があり、同時に企業やマスコミなどでの子供市場の商品化の傾向の調査、監視活動を行っている。さらに国際児童年運動(1979)のなかで確認されてきた、子供の幸福と人権を守るという課題に対して、国民運動の合意形成の基盤づくりを目ざす。そのため、「人類は子どもたちに最善のものを与えなければならない」という国連児童権利宣言(1959)、児童憲章(1951)、子どもの権利条約(1989)を実践する国民運動を各地で広げつつある。『子ども白書』(年刊)、『子どものしあわせ』(月刊)などを発行。本部は東京都千代田区三崎町3-3-25。付属研究所がある。
[金田茂郎]
『日本子どもを守る会編、中村博・中野光・堀尾輝久監修『花には太陽を子どもには平和を――子どもを守る運動の50年』(2002・新評論)』▽『日本子どもを守る会編・刊『子どものしあわせ』月刊(1956~ )』▽『児童問題研究所編・刊『児童問題研究』季刊(1965~90)』▽『日本子どもを守る会編・刊『子ども白書』各年版(1964~ )』