教育学者。長野県に生まれる。1910年(明治43)広島高等師範学校卒業。1915年(大正4)京都帝国大学哲学科卒業後、沢柳政太郎(さわやなぎまさたろう)のもとで新教育運動に参加し、教育の実証的実験研究を行う。その後、広島高等師範学校教授を経て、広島文理科大学教授、同学長となる。教育哲学、新教育の研究のなかからペスタロッチ研究を開始し、数多くの業績を残した。1941年(昭和16)スイス政府からペスタロッチ賞を授与される。戦後は、日本教育学会会長、日本学術会議会員を務めるかたわら、広島の被爆体験から文集『原爆の子』を編集し、「日本子どもを守る会」会長に任ずるなど、平和運動に貢献した。主著に『教育学』(1933)、『ペスタロッチー伝』上下(1952)がある。
[三原芳一]
『『教育学研究 長田新博士追悼特集』第28巻第2号(1961・日本教育学会)』
大正・昭和期の教育学者,教育家 広島文理科大学学長。
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…横須賀市で始まった卑猥な観光宣伝レコード《タマラン節》の販売中止運動をきっかけとして,1952年5月に結成された。当時,各地の米軍基地周辺の町では,いわゆる〈特飲街〉の隆盛とともに子どもの性非行の増加など教育環境の悪化が心配されていたが,暗い世相と社会悪から子どもたちを守り,紙芝居の内容改善,体罰の禁止,小児結核の予防など,健全な児童文化の創造と普及のために,父母,教師,市民団体,婦人団体,文化団体,教員組合がこの会の結成に参加した(初代会長は長田新)。以来,〈子どもを守る会〉の通称で,児童憲章の完全実施,憲法擁護と戦争反対,〈子どもの幸福をはばんでいる悪い環境と条件〉の除去,〈子どもが自分たちで強く正しく明るくのびてゆく力〉の育成などを基本目標に,毎年全国各地で〈子どもを守る文化会議〉の開催や調査研究,相談所活動も行っているほか,月刊雑誌《子どものしあわせ》の発行,《子ども白書》の作成などの活動をつづけている。…
…これをうけて日教組は51年〈教え子を再び戦場に送るな〉をスローガンとしてかかげ,教育研究運動を出発させた。また教育学者の長田新は作文集《原爆の子》(1951)を編み,平和への強い意志を抱く子どもの育成こそ,教師・父母にとって最高の課題であると訴え,国際的にも大きな反響を呼んだ。さらに国内では,父母などから戦争体験をきく運動が広がった。…
…日本には明治初期に伊沢修二らによりアメリカ経由でペスタロッチ主義の理論が導入され,開発主義の名のもとに一時流行した。その後ヘルバルト主義の運動が盛んになるや下火になったが,大正期に入り長田新や福島政雄(1889‐1976)らを中心に本格的なペスタロッチ研究が始まり,現在に至っている。【平野 正久】。…
※「長田新」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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