明治期に創設された社会教化団体。西村茂樹が1876年に東京修身学社を創設し,84年に日本講道会と改称したものを,さらに彼が《日本道徳論》を発表してほどない87年9月に改組したもの(会長西村茂樹)。〈形而上ノ理ヲ究メ〉〈道徳ノ教ヲ弘ム〉ることを目的として,〈講義,演説,著述,翻訳,問答〉をおもな事業とした。機関誌《弘道》を刊行し,第一高等中学校などで盛んに講演会を行い,国民道徳の普及に努めた。やがて教育勅語の理念と結びついて,皇室中心主義の政府の文教政策を民間から支える国民教化団体の性格を強めた。名誉会員や特別会員には名流や教育界の重鎮がいる。会員は約2000人で,全国の支会(支部)数は11である(2005)。
執筆者:佐藤 能丸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
明治時代設立の教化団体。1887年(明治20)9月、日本講道会を改称してできたもの。前身の日本講道会(1884年結成)も、西村茂樹(しげき)が1876年に道徳振興を唱えて設立した東京修身学社に発する。機関誌『弘道会雑誌』を刊行し、国家主義道徳を主張した。西村の「日本弘道会ノ改称ニ付キテ一言ス」をみれば、道徳を卑しむ風潮を嘆き、道徳の根基を定め、「人心ヲ正シ邪説ヲ遏(とど)メ、以(もっ)テ国基ヲ鞏固(きょうこ)ニセント欲ス」とある。ただし道徳の内容については、日本固有の教えはなく、東洋や西洋からとらざるをえないとし、東西の道徳の長所を吸収することを主張している。
[松永昌三]
…それは和漢の歴史から材料をとった儒教主義にもとづく修身書であった。また,一時期文部省の編集局長をつとめた《日本道徳論》の著者西村茂樹は,1876年におこした修身学社を87年に日本弘道会と改め,皇室中心主義の国民道徳普及につとめた。このような政府の施策やそれを支持する民間の運動により,欧米風の自由主義道徳やプロテスタントの倫理の教育は一部の私立学校にとどまった。…
※「日本弘道会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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