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西村茂樹 にしむらしげき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

西村茂樹
にしむらしげき

[生]文政11(1828).3.13. 江戸
[没]1902.8.18. 東京
思想家,教育家。名は鼎,字は重器,号は泊翁。佐野藩士西村芝郁の子。儒学を安井息軒大槻磐渓に,洋学を佐久間象山木村軍太郎らに学んだ。安政1 (1854) 年佐野藩年寄役,さらに慶応4 (68) 年に佐倉藩年寄役となって,藩政改革を行なった。

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デジタル大辞泉の解説

にしむら‐しげき【西村茂樹】

[1828~1902]道徳教育家。下総(しもうさ)の生まれ。明六社に参加。また、明治9年(1876)東京修身学社を創設(のち日本弘道会と改称)し、儒教的倫理思想に基づく国民道徳の高揚に努めた。著「日本道徳論」など。

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百科事典マイペディアの解説

西村茂樹【にしむらしげき】

明治期の啓蒙思想家,教育家。佐倉藩士の家に生まれ,漢学・洋学を学び藩に出仕。1872年上京,私塾を開き,明六社に参加した。のち文部省,宮内省,華族女学校に関与。
→関連項目古事類苑

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

西村茂樹 にしむら-しげき

1828-1902 江戸後期-明治時代の武士,道徳思想家。
文政11年3月13日生まれ。西村勝三の兄。下総(しもうさ)佐倉藩(千葉県)家老。儒学を安井息軒(そっけん),洋学を佐久間象山(しょうざん)にまなぶ。明治6年森有礼(ありのり)らと明六社の創立に参加,9年には東京修身学社(のちの日本弘道会)を創設,道徳思想の高揚につとめた。宮中顧問官,華族女学校長を兼任。明治35年8月18日死去。75歳。名ははじめ芳在,鼎。号は泊翁など。著作に「日本道徳論」など。
【格言など】およそ学問に朋友を得るより楽しきはなく,またその道の弘まるも朋友の力をもって第一とす(「日本道徳論」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

西村茂樹

没年:明治35.8.18(1902)
生年:文政11.3.13(1828.4.26)
明治時代の啓蒙思想家。名は重器または茂樹。号は泊翁,樸堂,庸斎。佐倉藩(千葉県佐倉)支藩佐野藩の執政西村芳郁,楽の長男。安井息軒らに儒学を学び,蘭学を佐久間象山,英学を手塚律蔵に学ぶ。明治維新後啓蒙活動に従事した。明治7(1874)年福沢諭吉,森有礼らと明六社を結成し『明六雑誌』に盛んに投稿した。明六社中の保守派で,道義の一筋を通そうとし道徳と政治の一致を説き,のちに幕末の討幕運動の不道徳性を批判した。彼は当時の日本の道徳的混乱を憂え,9年杉亨二,坂谷素 らと東京修身学社を創立し,のちに日本講道会,さらに日本弘道会と改めて日本道徳の再建に努力した。19年宮中顧問官。20年『日本道徳論』を著し,西洋哲学と東洋儒教の一致点を日本道徳の基礎とすることを主張した。23~25年貴族院勅選議員。<著作>『西村茂樹全集』全3巻,『心学講義』『徳学講義』<参考文献>高橋昌郎『西村茂樹』

(小泉仰)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

にしむらしげき【西村茂樹】

1828‐1902(文政11‐明治35)
明治期の啓蒙思想家,教育家。号は泊翁。文学博士。佐倉藩士の家に生まれ,安井息軒らに儒学を学び,佐久間象山に入門して洋学を修めた。支藩佐野藩の付人となり,また側用人となって藩政に当たり,藩主堀田正睦が老中外国事務専任となるに伴いその側近として活躍した。明治維新後,佐倉本藩の年寄となり,執政となったが,廃藩置県後の1872年(明治5)45歳で上京して私塾を開いた。翌年森有礼の要請で明六社の創立に参画し,この年文部省編集課長となった。

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大辞林 第三版の解説

にしむらしげき【西村茂樹】

1828~1902) 道徳思想家。下総しもうさ佐倉藩士。明六社の一員として活躍、「東京修身学社」(のち「講道会」「日本弘道会」と改称)を設立し儒教的倫理思想に基づく国民道徳の鼓吹につとめた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西村茂樹
にしむらしげき
(1828―1902)

明治時代の道徳運動家、教育家。幼名を平太郎、字(あざな)は芳在(ほうざい)。のち鼎(かなえ)と称し、また茂樹と改めた。号を樸堂(ぼくどう)、泊翁(はくおう)といった。泊翁の「泊」は九十九里浜を意味する。千葉県佐倉藩士の家に生まれ、藩校で儒学を修めたのち、佐久間象山(さくましょうざん)らに師事して洋学を学んだ。幕末すでに藩の要職にあったが、廃藩置県後上京し、1873年(明治6)森有礼(もりありのり)の勧めに応じて明六社(めいろくしゃ)の啓蒙(けいもう)運動に加わった。1875年5月文部省に出仕し、宮中侍講(じこう)を兼ねた。文部省では編集課長、編集局長、報告局長、編集局長(再)を歴任し、『古事類苑(こじるいえん)』などの編纂(へんさん)に尽力した。一方、1872年に頒布された学制には、もっぱら生をおさめ産をおこすことのみを説いて、ひとつも仁義・忠孝を教えた語のないのを遺憾とし、独力で国民の道徳を維持しようと志したが、1876年になって15、16人の同志を得たので、東京修身学社をおこした。これが現在も活動を続けている社団法人日本弘道会のおこりである。晩年は宮中顧問官、貴族院議員などを務めた。
 日本弘道会は1907年(明治40)9月までの段階で142支会をもち、会員数は最盛期の1902年には7191名を数えた。泊翁はこの会を本拠にして道義高揚に努めたが、執筆した文章の大半は『西村茂樹全集』全3巻に収められている。なかに『日本道徳論』も含まれ、これが代表作とみられている。彼はとかく保守反動と思われがちであるが、なかなかの改進家でもあった。[古川哲史]

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世界大百科事典内の西村茂樹の言及

【道徳教育】より

…それは和漢の歴史から材料をとった儒教主義にもとづく修身書であった。また,一時期文部省の編集局長をつとめた《日本道徳論》の著者西村茂樹は,1876年におこした修身学社を87年に日本弘道会と改め,皇室中心主義の国民道徳普及につとめた。このような政府の施策やそれを支持する民間の運動により,欧米風の自由主義道徳やプロテスタントの倫理の教育は一部の私立学校にとどまった。…

【日本道徳論】より

…明治中期の国家主義思想の書。西村茂樹著。1887年刊。…

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