『日本植物誌』Flora Japonicaとよばれる書物には、シーボルトとツンベルクのものがある。シーボルトは日本から帰国後ミュンヘンのツッカリーニJoseph Gerhard Zuccarini(1797―1848)に日本から持ち帰った植物関係の材料の研究を頼み、彼との共著で『日本植物誌』を完成させた。植物の分類はツッカリーニが行い、ラテン語の記載とフランス語の解説がある。第一巻(1835~1841)には100、第二巻(1842~1870)には50の図がある。第二巻の編纂(へんさん)にはミクェルFriedrik Anton Willem Miquel(1811―1871)が協力した。ツンベルクの『日本植物誌』(1784)は、812種の植物を記載しており、シーボルトはツンベルクの『日本植物誌』を携えて来日し、研究のため愛用した。日本植物のヨーロッパへの紹介はまずケンペルが行ったが、本格的な紹介はツンベルクによる。さらに、シーボルトによって全貌(ぜんぼう)が示された。伊藤圭介(けいすけ)の『泰西本草名疏(そ)』(1829)は、シーボルトから譲られたツンベルクの『日本植物誌』によるものである。
[矢部一郎]
1ツンベリ著。1784年ドイツのライプチヒ刊。1冊。図版39。著者が日本滞在中に採集した植物を,はじめてリンネの分類法に従ってまとめた書。顕花植物374属735種,隠花植物27属33種のほか疑問種若干を記述。植物の和名・用途に関する記載や,地名として長崎・箱根・江戸・都などがみられる。ツンベリはほかに「日本植物図譜」を著し,日本の植物相を西欧諸国に紹介した。
2シーボルト他共著,日本植物に関する著作中最も代表的な書。2巻。1835~70年に分冊してオランダのライデンで出版。第1巻(1835~41刊)は観賞植物と有用植物についてで,とくにアジサイ属の記述は有名。ツッエカリーニが分類し,シーボルトが100の植物図を掲げ解説。第2巻(1842~70刊)は2人の没後にミケルが完結させた。花木や常緑樹・針葉樹について記述し,50図を掲げる。草は少なく,野菜や穀物の図はない。本書により日本の植物相が世界に紹介された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…名古屋の本草家の同好会嘗百社(しようひやくしや)の研究活動の中心となる。著書《泰西本草名疏》4巻3冊(1829)は,シーボルトからもらったC.P.ツンベリーの《日本植物誌Flora Japonica》(1784)の学名に和名を付したものである。付録下で,リンネの分類法を,日本で最初に紹介したことに意義がある。…
…1807年ウプサラ大学博物館を開設,標本多数を寄贈した。著書に《日本植物誌》(1784),《ヨーロッパ・アフリカ・アジア紀行》(1793。日本に関する部分は《ツンベルグ日本紀行》として《異国叢書》所収),《喜望峰植物誌》(1823)がある。…
…動・植物のほか文献,記録,民族学的資料など,おびただしい収集資料に加えて,日本人門下生の報告資料,およびシーボルト以前にケンペル,ツンベリーらが日本について記載した書物も参照して,帰国後本書がまとめられた。《日本植物誌》《日本動物誌》とともに,彼の三部作をなしている。内容は,日本の自然地理学的な記述,日本商館,陸上・海上旅行,民族と国家,1826年(文政9)の江戸参府紀行,日本の歴史・考古学・芸術と学術・宗教・農業・工芸・貿易,日本の隣国と保護国,蝦夷・千島・樺太・黒竜江の情報,琉球諸島の記述等の多岐にわたり,以後の西欧人の日本研究の基礎とされた。…
※「日本植物誌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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