日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本鉄道矯正会」の意味・わかりやすい解説
日本鉄道矯正会
にほんてつどうきょうせいかい
日本鉄道会社の機関方・火夫約400人が1898年(明治31)4月に結成した労働組合。鉄工組合、活版工組合と並んで日本の初期の労働組合を代表する。日本鉄道会社の機関方・火夫は、同年2月に待遇改善を要求してストライキ(日本鉄道争議)を行い勝利を収め、その経験のうえにたって矯正会を組織した。本部を福島に置き、東日本全域に支部を広げ、翌99年には会員は1000人を超えた。1901年(明治34)には社会主義を支援することを宣言し、「好戦的労働組合の標本」と称された。こうして矯正会は順調に発展していくかに思われたが、01年秋に明治天皇が東北地方を訪れた際、会員が列車事故を起こしたという口実で政府が解散を命じ、ついえ去った。
[三宅明正]