労働組合期成会会員の9割を占める機械・金属労働者によって、1897年(明治30)12月1日に結成された組合。片山潜(せん)によって進歩的労働組合の標本とよばれた。交戦的労働組合の標本といわれた日本鉄道会社の機関方・火夫の組織した矯正会、調和的労働組合の標本と称された活版工組合と並ぶ当時の近代的労働組合の一つ。発足のときは東京砲兵工廠(こうしょう)各工場、甲武鉄道、新橋鉄道局、逓信(ていしん)省、日本鉄道会社大宮工場などの13支部、組合員1180人であったが、急速に組織を伸ばして、福島、仙台、盛岡、青森などの東北各地から、遠く北海道の滝川、札幌、旭川(あさひかわ)などにも支部がつくられ、1900年(明治33)9月には42支部、入会者総数5400人余に上った。1899年1月には上野公園で1周年記念祭を計画し警察署に禁止されたが、同年6月には独力で東京・日本橋に本部事務所を所有するなどの発展を遂げた。
しかし、日鉄大宮工場では組合員が解雇され、横浜船渠(せんきょ)会社では非組合員だけに賃上げをするなどの組合への妨害が行われ、1900年ごろには退会する者、会費を納入しない者が増え、会員数は名目的には多いものの会費完納者は1000人前後になった。組合は共済金を減額あるいは支給を中止したため、会員はいっそう減少し、01年に復活の兆しがみえたが、同年末にはほとんど名目の組合になり、やがて自然消滅した。
[松尾 洋]
『片山潜著『日本の労働運動』(岩波文庫)』▽『労働運動史料刊行委員会編『日本労働運動史料 第一巻』(1962・東京大学出版会)』
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労働組合期成会の支援のもとに結成された日本最初の近代的労働組合。1897年(明治30)12月1日,東京砲兵工廠(こうしょう)を中心に東京周辺で13支部1180人の鉄工を組織して発足。職業別組合主義を指導理念とし,1900年には関東から東北・北海道にまで組織を拡大し,42支部5400人余の組合員を擁した。会費滞納の増大による共済活動の行詰りと弾圧などにより,01年には衰退した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…一部には依然として特定職種の利益を守るため,小規模なクラフト・ユニオンが残存している例もあり,また産業別組合に組織転換した後も同じ行動様式に固執しているグループもあるなど,その伝統は根強い。 日本では1897年に鉄工組合,99年に活版工組合が組織され(〈労働組合期成会〉の項参照),クラフト・ユニオンとしての活動が行われたが,徒弟制度の欠如など,熟練労働者が安定した階層として持続する条件が乏しかったうえ,1900年の治安警察法制定に示される政府,雇主の反組合的態度のため,2~3年で消滅した。労働組合【栗田 健】。…
…中心人物はアメリカで苦学しつつ労働運動を研究し,AFL(アメリカ労働総同盟)の日本オルグとして帰国した高野房太郎である。高野は同じくアメリカ帰りの片山潜らと協力して,同年7月労働組合期成会を,同年12月には日本最初の近代的労働組合である鉄工組合を創立した。97年,98年には日清戦争を機とした産業発展に伴う労働力不足と物価騰貴を背景に,多くのストライキが起こった。…
…日本最初の近代的労働組合である鉄工組合の組織母体。期成会と略す。…
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