デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日秀」の解説
日秀(3) にっしゅう
文亀(ぶんき)3年生まれ。高野山で修行し,補陀落(ふだらく)渡海により琉球に漂着。那覇(なは)に護国寺を建立し,真言宗をひろめる。のち薩摩(さつま)(鹿児島県)にうつり,坊ノ津に一乗院,国分(こくぶ)に正護寺,大隅(おおすみ)に三光院をひらいた。天正(てんしょう)5年9月24日死去。75歳。加賀(石川県)出身,一説に上野(こうずけ)(群馬県)出身とも。字(あざな)は照海。
日秀(1) にっしゅう
文永元年生まれ。日蓮に帰依(きえ)した父の勧めで弟子となる。日蓮の死後,身延山の日蓮廟所守護の輪番をつとめ,のち上総(かずさ)(千葉県)妙光寺(のちの藻原寺)で日向(にこう)の跡をつぐ。晩年,相模(さがみ)(神奈川県)に実相寺をひらいた。正慶(しょうきょう)3=元弘(げんこう)4年1月10日死去。71歳。上総出身。俗名は高橋出羽世。通称は丹波阿闍梨(あじゃり)。
日秀(4) にっしゅう
明応4年生まれ。真言宗。奈良で華厳(けごん)・三論・倶舎(くしゃ)などをまなぶ。弘治(こうじ)2年紀伊(きい)根来寺(ねごろじ)智積(ちしゃく)院(和歌山県)にはいり,翌年京都醍醐(だいご)寺の源雅(げんが)に報恩院流をうけた。天正(てんしょう)5年11月12日死去。83歳。字(あざな)は玄紹。
日秀(2) にっしゅう
永徳3=弘和(こうわ)3年4月8日生まれ。日蓮宗。父は関白近衛道嗣(このえ-みちつぐ)。京都本国寺(のちの本圀寺)の日伝に師事し,応永16年近衛家の援助をえて広宣流布山本願満足寺(本満寺)をひらいたという。宝徳2年5月8日死去。68歳。字(あざな)は観随。号は玉洞妙院。