デジタル大辞泉
「日露和親条約」の意味・読み・例文・類語
にちろ‐わしんじょうやく〔‐ワシンデウヤク〕【日露和親条約】
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にちろ‐わしんじょうやく‥ワシンデウヤク【日露和親条約】
- 安政元年(一八五四)ロシア使節プチャーチンと徳川幕府全権との間で締結された九か条よりなる条約。箱館・下田・長崎の開港を定め、エトロフ・ウルップ両島間を国境とし、樺太は両国人の雑居地とした。
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「日露和親条約」の意味・わかりやすい解説
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日露和親条約
にちろわしんじょうやく
1854年,江戸幕府とロシアとの間に結ばれた条約
下田条約ともいう。使節プゥチャーチンと下田で締結。日米和親条約とほぼ同じ内容であるが,下田・箱館・長崎の開港を定め,択捉 (えとろふ) ・得撫 (うるつぷ) 両島間を日露の国境とし,樺太 (からふと) を両国人の雑居地として境界を定めなかった。
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日露和親条約
にちろわしんじょうやく
1855年2月7日,ロシアのプチャーチンと下田で締結した条約。日露通好条約ともいう
日米和親条約とほぼ同じ内容で,片務的最恵国待遇が規定されているが,領事裁判権は相互に承認した。エトロフ島とウルップ島の間を国境とし,樺太では国境を分けず従来どおりとした。
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出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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