幕末期、伊豆下田において締結された対外条約。
(1)1854年(嘉永7)3月に締結された日米和親条約(神奈川条約)の付録協定。同年5月にアメリカ使節ペリーとの間で調印。13か条からなり、和親条約に基づく下田・箱館(はこだて)の開港に伴い、遊歩区域、外人休息所の設定、その他開港場の使用細則などを定めた。
(2)1857年(安政4)5月下田奉行(ぶぎょう)とアメリカ総領事ハリスとの間に締結された協約。日米約定ともいう。両国貨幣の同種同量交換、アメリカ人の下田・箱館居住権、領事裁判権、総領事の商品直接購入権などを定めた。両港への外人居住、領事裁判権など片務的な不平等条項を含むこの協約は、翌年6月締結の日米修好通商条約の先駆をなす。
(3)日米和親条約に続き、1854年(安政1)12月にロシア使節プチャーチンとの間に締結された日露通好条約を下田条約とよぶこともある。箱館・下田・長崎の開港、国境協定、領事裁判権などを定めた。
[多田 実]
『外務省条約局編・刊『旧条約彙纂』全3巻4冊(1930~36)』
幕末に伊豆の下田で調印された以下の条約が,それぞれ下田条約と呼ばれている。(1)日米和親条約付録協定 1854年6月20日(嘉永7年5月25日)調印。開港場となる下田・箱館両港での細則を定めたもの。アメリカ人の遊歩区域,上陸場,民家出入り,休息場,物品購入のしかたなどについての規定がある。(2)日露和親条約 1855年2月7日(安政1年12月21日)調印。箱館・長崎・下田の3港を開くこと,択捉(えとろふ)島は日本領,ウルップ島以北の千島列島はロシア領とし,樺太は両国民雑居の地とすること,などを定めている。(3)日米約定(下田協約) 1857年6月17日(安政4年5月26日)調印。長崎の開港,アメリカ副領事の箱館駐留,日米貨幣の同種同量交換などを定めたほか,アメリカ人が日本人に対し不法をおこなったときは,アメリカの法律に基づいて領事が処罰する,という領事裁判権の規定がもりこまれた。この不平等条項は,翌58年調印の日米修好通商条約の個条に,そのまま引き継がれた。
執筆者:小野 正雄
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2日米約定とも。1857年6月17日(安政4年5月26日)下田でアメリカ総領事ハリスと下田奉行井上清直(きよなお)が結んだ条約。通商条約の締結をめざしていたハリスが,幕府の抵抗にあったため,日米和親条約の拡充によってアメリカの権利拡大をはかったもの。片務的領事裁判権が規定されたほか,長崎の開港,下田・箱館におけるアメリカ人の居住権,副領事の箱館駐在,日米両国貨幣の同種同量交換,総領事の旅行権などが認められた。翌年の日米修好通商条約締結にともない廃棄。
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…水産業は沿岸・沖合漁業でサバなどの水揚げが多く,農業はミカン,花卉などが中心である。《延喜式》の名神大社伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)(白浜)神社,下田条約締結の舞台となった了仙寺(史),長楽寺,アメリカ総領事館が置かれた玉泉寺(史),唐人お吉の墓がある宝福寺など史跡が多い。【塩川 亮】
[歴史]
江戸~大坂間の海上交通の要地として発展した。…
※「下田条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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