下田条約(読み)シモダジョウヤク

デジタル大辞泉 「下田条約」の意味・読み・例文・類語

しもだ‐じょうやく〔‐デウヤク〕【下田条約】

安政元年(1854)日米和親条約の付録として、下田箱館両港の開港と使用に関する細則を決めた条約
安政4年(1857)アメリカ総領事ハリス下田奉行との間で調印された、日米和親条約修補の条約。外国人居住権領事裁判権などを規定。下田協約
日露和親条約

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精選版 日本国語大辞典 「下田条約」の意味・読み・例文・類語

しもだ‐じょうやく ‥デウヤク【下田条約】

[一] 安政元年(一八五四)五月、下田で調印された日米和親条約の付録として細則を決めた条約。
[二] 安政四年(一八五七)五月、アメリカ総領事ハリスと下田奉行の間で締結・調印された、日米和親条約修補の条約。長崎の開港を規定し、日米修好通商条約の前駆となった。日米約定
[三] 安政元年(一八五四)一二月、日本ロシアの間で調印された和親条約。下田・箱館・長崎を開港。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「下田条約」の意味・わかりやすい解説

下田条約
しもだじょうやく

幕末期、伊豆下田において締結された対外条約。

(1)1854年(嘉永7)3月に締結された日米和親条約(神奈川条約)の付録協定。同年5月にアメリカ使節ペリーとの間で調印。13か条からなり、和親条約に基づく下田・箱館(はこだて)の開港に伴い、遊歩区域、外人休息所の設定、その他開港場の使用細則などを定めた。

(2)1857年(安政4)5月下田奉行(ぶぎょう)とアメリカ総領事ハリスとの間に締結された協約。日米約定ともいう。両国貨幣の同種同量交換、アメリカ人の下田・箱館居住権、領事裁判権、総領事の商品直接購入権などを定めた。両港への外人居住、領事裁判権など片務的な不平等条項を含むこの協約は、翌年6月締結の日米修好通商条約先駆をなす。

(3)日米和親条約に続き、1854年(安政1)12月にロシア使節プチャーチンとの間に締結された日露通好条約を下田条約とよぶこともある。箱館・下田・長崎の開港、国境協定、領事裁判権などを定めた。

多田 実]

『外務省条約局編・刊『旧条約彙纂』全3巻4冊(1930~36)』

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改訂新版 世界大百科事典 「下田条約」の意味・わかりやすい解説

下田条約 (しもだじょうやく)

幕末に伊豆の下田で調印された以下の条約が,それぞれ下田条約と呼ばれている。(1)日米和親条約付録協定 1854年6月20日(嘉永7年5月25日)調印。開港場となる下田・箱館両港での細則を定めたもの。アメリカ人の遊歩区域,上陸場,民家出入り,休息場,物品購入のしかたなどについての規定がある。(2)日露和親条約 1855年2月7日(安政1年12月21日)調印。箱館・長崎・下田の3港を開くこと,択捉(えとろふ)島は日本領,ウルップ島以北の千島列島はロシア領とし,樺太は両国民雑居の地とすること,などを定めている。(3)日米約定(下田協約) 1857年6月17日(安政4年5月26日)調印。長崎の開港,アメリカ副領事の箱館駐留,日米貨幣の同種同量交換などを定めたほか,アメリカ人が日本人に対し不法をおこなったときは,アメリカの法律に基づいて領事が処罰する,という領事裁判権の規定がもりこまれた。この不平等条項は,翌58年調印の日米修好通商条約個条に,そのまま引き継がれた。
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百科事典マイペディア 「下田条約」の意味・わかりやすい解説

下田条約【しもだじょうやく】

幕末に伊豆(いず)下田で調印された以下の条約をそれぞれいう。(1)1857年6月ハリス下田奉行井上清直らとの間に調印された神奈川条約(日米和親条約)の不備を改訂した条約。長崎の開港をうたい,日米両国貨幣の同種同量交換,米人の下田・箱館居住権,領事裁判権などを定め,在住米人の権利は拡大した。特に治外法権を認めたことは後の条約改正の難点となり累を後代に及ぼした。日米約定,下田協約とも。(2)1854年5月調印の日米和親条約付録協定。(3)1855年2月調印の日露通好(和親)条約。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「下田条約」の意味・わかりやすい解説

下田条約
しもだじょうやく

嘉永7 (1854) 年5月,および安政4 (57) 年5月 26日伊豆下田で調印された日米和親条約の付属協定。前者は 13ヵ条から成り,先に締結された日米和親条約の規定に基づく下田,箱館2港の開港にあたってその細則を定めたもの。後者は,安政3年日本に着任したアメリカ総領事 T.ハリスと下田奉行井上清直らの間で結ばれ,下田,箱館の開港細則をさらに拡大して,居留地の権限について定め,特に領事裁判制度が樹立された。さらに両港のほか長崎開港に関する同様の細則もこの協定で定められ,全5ヵ条から成っている。 M.ペリーの圧力によって結ばれた和親条約が日米修好通商条約 (→安政五ヵ国条約 ) に結実する過渡を示す。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「下田条約」の解説

下田条約
しもだじょうやく

1日露通好条約(にちろつうこうじょうやく)

2日米約定とも。1857年6月17日(安政4年5月26日)下田でアメリカ総領事ハリスと下田奉行井上清直(きよなお)が結んだ条約。通商条約の締結をめざしていたハリスが,幕府の抵抗にあったため,日米和親条約の拡充によってアメリカの権利拡大をはかったもの。片務的領事裁判権が規定されたほか,長崎の開港,下田・箱館におけるアメリカ人の居住権,副領事の箱館駐在,日米両国貨幣の同種同量交換,総領事の旅行権などが認められた。翌年の日米修好通商条約締結にともない廃棄。

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旺文社日本史事典 三訂版 「下田条約」の解説

下田条約
しもだじょうやく

①幕末の1854(安政元)年締結された日露和親条約の別称
②1857(安政4)年,ハリスと下田奉行との間に締結された日米約定の別称
川路聖謨 (としあきら) とプゥチャーチンが調印。
貨幣の同種同量交換・領事裁判権などを規定し,日米修好通商条約の前駆をなした。

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世界大百科事典(旧版)内の下田条約の言及

【下田[市]】より

…水産業は沿岸・沖合漁業でサバなどの水揚げが多く,農業はミカン,花卉などが中心である。《延喜式》の名神大社伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)(白浜)神社,下田条約締結の舞台となった了仙寺(史),長楽寺,アメリカ総領事館が置かれた玉泉寺(史),唐人お吉の墓がある宝福寺など史跡が多い。【塩川 亮】
[歴史]
 江戸~大坂間の海上交通の要地として発展した。…

※「下田条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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