改訂新版 世界大百科事典 「日韓漁業協定」の意味・わかりやすい解説
日韓漁業協定 (にっかんぎょぎょうきょうてい)
1965年に日本国政府と大韓民国政府との間で締結された,韓国周辺水域の漁業資源の合理的利用と安全操業等に関する協定。太平洋戦争の敗戦後,占領軍の指令に基づいて日本漁業の操業区域は1945年9月27日以降マッカーサー・ライン内に限定された。これがサンフランシスコ講和条約で52年4月25日限り撤廃されることとなったのに先立ち,韓国周辺水域における日本漁業の脅威を見越した李承晩韓国大統領は,同年1月18日〈韓国領土近海の大陸棚の上部,表面,地下にあるすべての鉱物と水産資源について,韓国はその主権を留保し,行使する〉という海洋主権宣言を発し,いわゆる李ライン(李承晩ライン)を設定した。これはその後の200カイリ漁業専管水域にも相当する広大な水域から他国漁船を排除するもので,(当時としては)国際法に反する一方的措置であるとして,日本漁業者の強い反対がみられた。李ライン内水域は日本の朝鮮半島統治時代から開拓され大量漁獲が行われたが,西日本の巻網・底引網漁業者はマ・ライン撤廃後の主要漁場として大きく期待した漁場を失うこととなり,またその後周辺水域に出漁した日本漁船の韓国官憲による拿捕(だほ)と乗組員の抑留事件が頻発した。日本政府は韓国の李ライン宣言の直後の同年2月から日韓漁業交渉を開始したが,当時の韓国の国民感情や両国漁業の資本力・技術の格差から交渉は難航し,第3次の韓国の会談打切り宣言を間にはさみ第7次会談までの14年間にわたる交渉の結果,65年に至りようやく協定の妥結をみた。1960年に李承晩政権が倒れて61年朴正煕政権が誕生し,65年に日韓国交回復が正式になされたのに伴い結ばれたものである。
協定の主要な内容は,(1)漁業に関する水域として12カイリまでは自国の排他的管轄権を行使できる,(2)韓国の管轄水域外の周辺に共同規制水域を設定し,この水域は主要漁業の漁船規模,漁期,最高出漁漁船数,網目,集魚灯光力,ならびに総漁獲基準量などが規制される,(3)共同規制水域の外延の東経132°以西,北緯30°以北に共同資源調査水域を設定する,(4)日韓漁業共同委員会を設置し,漁業資源の科学的調査,規制措置の勧告を行う,(5)日本側は大日本水産会,韓国側は水産業協同組合中央会の両国民間団体により日韓民間漁業協議会を設置し,操業秩序の維持および事故処理についての取決めと実務の処理に当たる,などである。この協定の締結以後,77年に米,ソ両国の200カイリ漁業専管水域の実施をはじめ各国の200カイリの排他的漁業水域の設定の時代を迎え,日本も同年200海里水域法を制定した。しかし日韓両国間では日韓漁業協定に基づいて漁業が行われ,200カイリの排他的水域は適用されないものとなっている。そのため77年の日本の200海里水域法制定年にも,韓国周辺の200カイリ水域内で日本は約14万t程度の漁獲を行ったと推定され,日本の漁業者が開拓した韓国周辺水域における漁業の権益はやや後退はみられるが,ひとまず確保されたといえる。
→日韓条約
執筆者:米田 一二三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報