民俗学者。愛知県南設楽(みなみしたら)郡長篠(ながしの)村横山(現、新城(しんしろ)市)の農家の旧家に生まれる。豊橋市立素習学校を修了、画業を志して上京、黒田清輝(くろだせいき)の門に入るなどした。これがのちに民俗観察におけるスケッチに生かされることになった。26歳のとき、『郷土研究』に論文を寄稿して、柳田国男(やなぎたくにお)に認められ、民俗学の道に入る。折口信夫(おりくちしのぶ)、渋沢敬三らの知己も得、民俗採集に才能を発揮して1930年(昭和5)に故郷の花祭とよばれる霜月神楽(しもつきかぐら)を中心に、修正会(しゅしょうえ)として行われている田楽(でんがく)などを含めた膨大な研究書『花祭』2巻を刊行。一方「アチック・ミューゼアム」(現、神奈川大学日本常民文化研究所)に所属して民具の収集に努めた。九州帝国大学農学部の助手なども経験し、農政にも力を入れた。
[西角井正大 2019年2月18日]
『宮本常一・宮田登編『早川孝太郎全集』全12巻(1971~2003・未来社)』
愛知県南設楽郡長篠村横山(現,新城市横川)に生まれる。1906年豊橋の私立素習学校卒業後,画家を志して上京する。柳田国男の末弟松岡映丘に師事し,その間民俗学の専門雑誌《郷土研究》を知り,郷里の動物や三河万歳,正月などに関する民俗を報告し,柳田に注目される。20年に柳田と共著で《オトラ狐の話》を出し,続いて《三州横山話》(1921),《猪・鹿・狸》(1926)を刊行する。30年には渋沢敬三の援助のもとに,郷里の民俗芸能である花祭の精細なモノグラフ《花祭》前後編2巻を刊行する。33年には九州帝国大学農学部の小出満二の助手となり,農業経済の研究に従事する。36年には九州大学を退職し,農村更生協会にはいる。この間,阿蘇,椎葉,十島村など全国各地の民俗調査を行い,38年には《大蔵永常》,41年には《古代村落の研究--黒島》を刊行する。早川は民俗調査の天才といわれ,終始一貫してどんな僻遠の地域にもおもむいて調査を行う情熱をもちつづけ,晩年には民俗に関する生字引として民俗資料の指導やその調査に尽力した。早川は,柳田,折口信夫,渋沢の影響を受けつつ,豊富な調査活動と詩的センスによって独自の民俗学をうちたてたが,単に知識としての民俗学だけでなく,その知識を実際の生活に役だてる方面でも大きな貢献をした。その業績は《早川孝太郎全集》として集成されている。
執筆者:飯島 吉晴
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大正・昭和期の民俗学者
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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