明治時代の真宗大谷派の学僧。尾張(おわり)藩士の家に生まれ、名古屋の医学校に学んだが、16歳のとき東本願寺で得度し、大谷派育英教校へ入学、さらに東京大学に進み、1887年(明治20)同大学哲学科を卒業。翌1888年、京都府尋常中学校校長、1901年(明治34)には真宗大学(現、大谷大学)初代学長となった。思想的テーマは宗教と哲学の問題にあったが、28歳ころより禁欲的修道生活を営み、独自の主観的信仰を説いた。彼の宗教思想は精神主義とよばれ、日本仏教の近代化に果たした功績は大きい。精神主義、教学中心の立場から宗門の革新運動を行うとともに、1900年東京に浩々洞(こうこうどう)を開き門下生を集めた。そのなかには佐々木月樵(ささきげっしょう)、多田鼎(ただかなえ)(1875―1937)、暁烏敏(あけがらすはや)などがいる。翌1901年には雑誌『精神界』を発刊。彼はその2年後に早世したが、雑誌は1918年(大正7)まで続いた。主著に『我が信念』『宗教哲学骸骨(がいこつ)』などがある。
[北西 弘 2016年8月19日]
『暁烏敏・西村見暁編『清沢満之全集』全8巻(1953~1957・法蔵館)』▽『大谷大学編『清沢満之全集』全9巻(2002、2003・岩波書店)』▽『吉田久一著『清沢満之』(1961/新装版・1986・吉川弘文館)』▽『橋本峰雄著『日本の名著43 清沢満之・鈴木大拙』(1984・中央公論社)』
近代の仏教復活思想家。愛知県の真宗大谷派西方寺の人。名古屋黒門町の尾張藩士徳永永則の子。16歳で京都の東本願寺育英教校に入学,のち本山から東京留学を命ぜられ,東京大学に入り,1887年同哲学科を卒業,翌年西方寺に入った。在学中哲学をフェノロサに学び,ヘーゲルの思想に示唆をえた。88-90年の間京都府が東本願寺に経営を委託した京都尋常中学校の校長を務め,辞職後厳しい禁欲生活に入り,衣食住に〈ミニマム・ポシブル〉を求めて自己鍛錬に努めた。94年結核を発病し,道友沢柳政太郎らの強請で兵庫県舞子で療養生活に入ったが,この間内面に大きな転換があり,〈自力の迷情〉をひるがえして他力の信仰を獲得した。このころ東本願寺では1864年(元治1)兵火焼失後の再建経費と多くの負債整理のため財政本位の宗政が行われたが,清沢らは本来の教学中心の寺務に改めるよう建言し,96年京都白河村に籠居し,同志とともに《教界時言》を発刊して改革を訴え,井上円了,村上専精,南条文雄ら宗門学者も呼応した。しかし清沢らは翌年本山から除名処分をうけ,革新運動は挫折した。98年許されたが,この運動で教学復興が喚起され,1901年真宗大学(大谷大学の前身)は新学制による求道者養育の学府として東京巣鴨に移り,清沢は初代学監となった。一方,前年から東京本郷森川町に浩々洞を営み,真宗大学卒業生らと翌年1月雑誌《精神界》を発刊し,〈精神主義〉を提唱した。しかし02年学監を辞し,翌年6月絶筆《我信念》を残して病没した。〈精神主義〉は真宗が親鸞に回帰する道でもあり,仏教が近代に再起する道ともされて,佐々木月樵,多田鼎,暁烏敏(あけがらすはや)をはじめ曾我量深,金子大栄らの高弟に継承され,現在の真宗大谷派同朋会運動の支点ともなっている。遺稿は《清沢満之全集》全8巻に収まる。
執筆者:柏原 祐泉
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明治期の僧侶(真宗大谷派),宗教哲学者,教育家 大谷大学初代学長;西方寺住職。
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(草野顕之)
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1863.6.26~1903.6.6
明治期の宗教家・思想家・哲学者。尾張国生れ。幼名満之助,建峰・骸骨・石水・臘扇・浜風などと号す。得度して賢了と称した。東本願寺育英教校をへて東大に入学。卒業後は大学院に進学し,宗教哲学を専攻。「哲学会雑誌」の編集にあたる。1896年(明治29)今川覚神・井上豊忠・稲葉昌丸・月見覚了・清川円誠らと「教界時言」を発刊して宗門改革を主張し,宗門から除名処分をうけた。98年復帰。精神主義的運動を展開し,1901年「精神界」を発刊。仏教における近代的信仰を樹立した。著書「宗教哲学骸骨」「我信念」。
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…この学寮制度は,護法場,貫練場などの改組を経て,1882年(明治15)真宗大学寮となり,96年,真宗大学と改称。1901年,東京下巣鴨に移り,初代学長清沢満之によって,〈本願他力の宗義〉にもとづく仏教学のほか,哲学,史学,文学,語学の各課程を加えた近代的な文科系大学の形をととのえる。11年,再び京都に移り真宗大谷大学と改称し,翌年現在地に移る。…
…しかし,1921年に〈恵信尼消息〉が発見され,また親鸞自筆と伝えられるものの筆跡研究が進むにつれて,親鸞の実在を疑う論は影をひそめた。他方,自己のはからいを捨てて阿弥陀一仏に帰依することを説いた親鸞の思想に対する,近代的な解釈が始まり,清沢満之(きよさわまんし),暁烏敏(あけがらすはや)などの思想家,宗教家の論著が人々に大きな影響を与え,《歎異抄》が知識人の間で広く読まれるようになった。近代的な自我意識が成立するなかで,自己を徹底的に凝視する親鸞の思想に共鳴する人々があらわれ,倉田百三の戯曲《出家とその弟子》は,若い知識人に強い影響を与えた。…
※「清沢満之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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