江戸時代,江戸の各劇場で行った年中行事の一つ。初春狂言が成功し,5月まで興行が継続したとき,曾我兄弟の討入りの5月28日に催した。芝居の守護神として楽屋に祀っていた曾我荒人神のお祭り。元来は楽屋内の行事であったが,1753年(宝暦3)中村座で初狂言の大成功のとき,舞台で行ったのが以後三座の慣例になり,文政(1818-30)ごろまで続いた。仕切場に神輿(みこし)を飾り,幕間には神楽を奏した。楽屋では,打出し後酒宴,それが終わってからいろいろな趣向の練物や余興を演じて町内を行列する。舞台では大切(おおぎり)に座中惣出演のはなやかな舞踊を付けた。贅を尽くし,華美になったため,しばしば幕府の弾圧の対象となった。
執筆者:服部 幸雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…振付初世花柳寿輔,3世藤間勘十郎。《曾我祭》の通称がある風俗・祭礼物の一種。男女の手古舞や芸者が大ぜい出て,木遣りから曾我夜討の物語,おどけ節などあって,2人の獅子舞となる威勢のよい江戸前の踊りである。…
…上方では〈二の替り〉と称し,年間の興行のうちもっとも演劇的な内容を重視した狂言を演ずることとし,必ず廓の場面がある約束で,外題に〈けいせい(傾城,契情)〉の文字を含ませる習慣があった。江戸の例でいうと,初春興行の曾我狂言に立てた大名題はなるべくそのまま残し,3月の〈弥生(やよい)興行〉,5月の〈皐月(さつき)興行〉には,一番目の不評の場を抜いて二番目,三番目を出していき,5月28日の曾我祭まで行くことができれば大成功としたものである。しかし,3月3日初日で陽春の季節にふさわしいお家騒動物や《助六》などを出し,5月5日からまた狂言を差し替えることが多かった。…
※「曾我祭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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