有間皇子(ありまのおうじ)(読み)ありまのおうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

有間皇子(ありまのおうじ)
ありまのおうじ
(640―658)

孝徳(こうとく)天皇皇子。母は左大臣阿倍内麻呂(あべのうちまろ)の女(むすめ)小足媛(おたらしひめ)。皇子は性悟(さと)く、偽って狂ったまねをしたという。少年ながら政争に巻き込まれるのを避けたらしい。だが657年(斉明天皇3)療病のため紀伊牟婁(むろ)温泉に行き、そのよさを斉明(さいめい)天皇に推薦して、翌年冬天皇の温泉行幸中、蘇我赤兄(そがのあかえ)に唆(そそのか)されて謀反を企て、赤兄に捕らえられて、送還の途中、紀伊藤白坂(和歌山県海南市藤白)で絞殺された。中大兄(なかのおおえ)皇子の罠(わな)にはまったといえる。『万葉集』に載る歌2首は護送の途中詠んだもので絶唱である。

 磐代(いはしろ)の浜松が枝を引き結び真幸(まさき)くあらば亦(また)かへり見む(巻2、141)
 家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕(くさまくら)旅にしあれば椎(しひ)の葉に盛る(巻2、142)
[横田健一]

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