阿倍倉梯麻呂(読み)アベノクラハシマロ

デジタル大辞泉 「阿倍倉梯麻呂」の意味・読み・例文・類語

あべ‐の‐くらはしまろ【阿倍倉梯麻呂】

[?~649]大化の改新政府の廷臣。名は内麻呂とも。改新左大臣に任ぜられた。

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改訂新版 世界大百科事典 「阿倍倉梯麻呂」の意味・わかりやすい解説

阿倍倉梯麻呂 (あべのくらはしまろ)
生没年:?-649(大化5)

7世紀の中央豪族。阿倍内麻呂ともいい,大鳥大臣とも号した。内麻呂の内は阿倍氏中の家名で,大和国宇智郡ないし山城国宇治郡の地にちなむものと考えられ,推古・舒明紀にその名の見える阿倍麻呂も彼のことであろう。推古朝の大夫(まえつぎみ)阿倍鳥の子と思われる。645年(大化1)6月,中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)を滅ぼし孝徳天皇即位し中大兄皇子が皇太子となったとき,左大臣に任命され,いわゆる大化改新政府の主導的地位に立ち,死ぬまでその職にあった。648年4月には推古朝以来の冠位十二階をやめ,前年制定の七色十三階制に移行したが,左・右大臣はなお古い冠を着用したという。《大安寺伽藍縁起幷流記資財帳》によると,斉明天皇のとき,穂積百足とともに百済大寺(後の大安寺)の造寺司に任命された。彼の娘小足媛(おたらしひめ)は孝徳天皇の妃として有間皇子を生み,橘娘天智天皇に嫁し飛鳥皇女新田部皇女を生んだ。
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朝日日本歴史人物事典 「阿倍倉梯麻呂」の解説

阿倍倉梯麻呂

没年:大化5.3.17(649.5.3)
生年:生年不詳
7世紀前半の官人。阿倍内麻呂と同一人物で摩侶とも記す。推古朝の大夫阿倍鳥の子で,『公卿補任』には大鳥大臣と号したとある。推古32(624)年蘇我馬子の命を受け,葛城県を譲与するよう奏請。推古の死後には蘇我蝦夷と後継天皇を決める会議を共催し,田村皇子(のちの舒明天皇)を擁立。大化1(645)年の乙巳の変(大化の改新)後,左大臣に就任した。なお娘の小足媛が孝徳妃となって有間皇子を生み,橘娘が天智妃となって飛鳥皇女,新田部皇女を生んでいる。大化4年四天王寺(大阪市天王寺区)に仏像4体を安置して霊鷲山を作り,また『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』には斉明朝に百済大寺造寺司となったとある。<参考文献>関晃「大化の左大臣阿倍内麻呂について」(『歴史』21号)

(佐藤長門)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「阿倍倉梯麻呂」の解説

阿倍倉梯麻呂 あべのくらはしの-まろ

?-649 飛鳥(あすか)時代の官吏。
大化(たいか)元年孝徳天皇の即位とともに左大臣となり,大化の改新をすすめた。4年に四天王寺で仏事をいとなみ,また百済大寺(大安寺)の造寺司をつとめた。阿倍鳥の子とおもわれる。娘の小足媛(おたらしひめ)は孝徳天皇の妃となり有間皇子を,橘娘(たちばなのいらつめ)は天智(てんじ)天皇の妃となり皇女2人を生む。大化5年3月17日死去。号は大鳥大臣。阿倍内(あべのうちの)麻呂とも。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿倍倉梯麻呂」の意味・わかりやすい解説

阿倍倉梯麻呂
あべのくらはしのまろ

阿倍内麻呂

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿倍倉梯麻呂」の意味・わかりやすい解説

阿倍倉梯麻呂
あべのくらはしまろ

阿倍内麻呂」のページをご覧ください。

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