7世紀の中央豪族。阿倍内麻呂ともいい,大鳥大臣とも号した。内麻呂の内は阿倍氏中の家名で,大和国宇智郡ないし山城国宇治郡の地にちなむものと考えられ,推古・舒明紀にその名の見える阿倍麻呂も彼のことであろう。推古朝の大夫(まえつぎみ)阿倍鳥の子と思われる。645年(大化1)6月,中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)を滅ぼし孝徳天皇が即位し中大兄皇子が皇太子となったとき,左大臣に任命され,いわゆる大化改新政府の主導的地位に立ち,死ぬまでその職にあった。648年4月には推古朝以来の冠位十二階をやめ,前年制定の七色十三階制に移行したが,左・右大臣はなお古い冠を着用したという。《大安寺伽藍縁起幷流記資財帳》によると,斉明天皇のとき,穂積百足とともに百済大寺(後の大安寺)の造寺司に任命された。彼の娘小足媛(おたらしひめ)は孝徳天皇の妃として有間皇子を生み,橘娘は天智天皇に嫁し飛鳥皇女と新田部皇女を生んだ。
執筆者:館野 和己
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(佐藤長門)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新