?~649.3.17
阿倍倉梯麻呂(くらはしのまろ)とも。大化の改新時の左大臣。阿倍内・阿倍倉梯は複姓。推古朝の大夫(まえつきみ)阿倍内鳥の子か。624年(推古32)蘇我馬子(うまこ)が推古天皇に葛城県(かつらぎのあがた)の譲渡を請うたときに使者を勤め,628年に蘇我蝦夷(えみし)のもとで田村皇子(舒明天皇)の擁立を図る。改新政府の左大臣としての事績は不詳だが,百済大寺の造寺司となった。647年(大化3)冠位十三階制の施行時,古冠をつけたという。安倍寺(崇敬寺)を建立。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…7世紀の中央豪族。阿倍内麻呂ともいい,大鳥大臣とも号した。内麻呂の内は阿倍氏中の家名で,大和国宇智郡ないし山城国宇治郡の地にちなむものと考えられ,推古・舒明紀にその名の見える阿倍麻呂も彼のことであろう。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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