阿倍内麻呂(読み)あべのうちまろ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿倍内麻呂」の意味・わかりやすい解説

阿倍内麻呂
あべのうちまろ
(?―649)

最初の左大臣。一名倉梯麻呂(くらはしまろ)。蘇我入鹿(そがのいるか)が殺され孝徳(こうとく)天皇が即位するとただちに左大臣に任命され、大化改新枢機参画した。しかし積極的に革新的政策を打ち出したかどうか疑わしい。その女(むすめ)小足媛(おたらしひめ)は孝徳即位前にその妃となっていたので、臣下長老として徳望から左大臣に任ぜられたものであろう。648年(大化4)に四天王寺僧尼を請(しょう)じ4躯(く)の仏像を迎え塔内に安置し、霊鷲山(りょうじゅせん)の像をつくった。大鳥大臣と号した。

[横田健一]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「阿倍内麻呂」の解説

阿倍内麻呂
あべのうちのまろ

?~649.3.17

阿倍倉梯麻呂(くらはしのまろ)とも。大化の改新時の左大臣。阿倍内・阿倍倉梯は複姓。推古朝の大夫(まえつきみ)阿倍内鳥の子か。624年(推古32)蘇我馬子(うまこ)が推古天皇葛城県(かつらぎのあがた)の譲渡を請うたときに使者を勤め,628年に蘇我蝦夷(えみし)のもとで田村皇子(舒明天皇)の擁立を図る。改新政府の左大臣としての事績は不詳だが,百済大寺の造寺司となった。647年(大化3)冠位十三階制の施行時,古冠をつけたという。安倍寺(崇敬寺)を建立

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿倍内麻呂」の意味・わかりやすい解説

阿倍内麻呂
あべのうちまろ

[生]?
[没]大化5(649).3.17. 大和
古代の豪族。倉梯麻呂 (くらはしまろ) ともいう。大化改新の推進者で,大化1 (645) 年,初代の左大臣となる。その娘小足媛は孝徳天皇の妃。

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旺文社日本史事典 三訂版 「阿倍内麻呂」の解説

阿倍内麻呂
あべのうちのまろ

?〜649
改新政府の左大臣
倉梯麻呂ともいう。娘は孝徳天皇の妃で,有間皇子を生んだ。大化の改新後,改新政府の左大臣となり,右大臣蘇我倉山田石川麻呂とともに国政に参画。穏健派豪族の長老として重要な地位を占めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「阿倍内麻呂」の解説

阿倍内麻呂 あべのうちの-まろ

阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしの-まろ)

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世界大百科事典(旧版)内の阿倍内麻呂の言及

【阿倍倉梯麻呂】より

…7世紀の中央豪族。阿倍内麻呂ともいい,大鳥大臣とも号した。内麻呂の内は阿倍氏中の家名で,大和国宇智郡ないし山城国宇治郡の地にちなむものと考えられ,推古・舒明紀にその名の見える阿倍麻呂も彼のことであろう。…

※「阿倍内麻呂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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