服忌令(読み)ぶっきりょう

精選版 日本国語大辞典 「服忌令」の意味・読み・例文・類語

ぶっき‐りょうブクキリャウ【服忌令】

  1. 〘 名詞 〙 徳川幕府法令。貞享元年(一六八四)二月三〇日制定。父母以下親族の死亡の際の忌・服の期間を定めたもの。忌の期間中は門を閉じて出仕せず、魚肉を食べず、髭髪をそらず、神社への参詣をやめるなどした。〔徳川実紀‐貞享元年(1684)二月三〇日〕

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改訂新版 世界大百科事典 「服忌令」の意味・わかりやすい解説

服忌令 (ぶっきりょう)

近親の死に際して喪に服すべき期間を定めた法。ほかに触穢(しよくえ)に関する規定も付されていることが多い。服忌令と称するものは,中世伊勢神宮その他の神社で作成されたのが初めであるが,それらは基本的には喪葬令服紀条と仮寧(けによう)令を組み合わせ,喪に服するものが与えられる休暇たる仮(か)を,死穢を忌む期間としてのに変えたものであった。江戸幕府では,これらをもとにして5代将軍徳川綱吉の1684年(貞享1)儒者林鳳岡(ほうこう),木下順庵,神道家吉川惟足(これたり)らの参画の下に,服忌令を制定公布,その後数次の改正の後,1736年(元文1)最終的に確定した(表参照)。服忌令は,そこに載せられた範囲の親族が原則として親類とされて互助などの義務を課せられるほか,それら親類の間に尊卑,親疎によって6段階の格差が設けられ,家父長制的な家族,親族秩序の強化に役だてられた。諸藩も幕府の服忌令をそのまま,あるいは変更を加えて用いた。幕府服忌令は武士および庶民を対象としたが,1874年新政府は公家に行われていた,令の服仮制の系統をひく〈京家の制〉を廃止し,〈武家の制〉すなわち幕府服忌令一本に統一した。その後民法制定とともに服忌令は親族規制法としての意味を失い,哀悼謹慎を義務づける法としての面もやがて有名無実化した。
忌服 →皇室服喪令
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「服忌令」の解説

服忌令
ぶっきれい

死者があったときに,近親の度合いに応じて喪にこもる服忌や忌日の日数を定めたもの。江戸時代,5代将軍徳川綱吉は武家の「服忌令」を制度化した。1684年(貞享元)に発布したあと,93年までに5度の追加補充があった。追加改定は8代将軍吉宗時代の1736年(元文元)9月に完了し,明治維新まで通用した。公家・武家で異なり,父母の死の場合,公家は1年の服喪,武家は50日の忌,13カ月の服となる。明治政府は1874年(明治7),武家の制を採用して官吏に適用した。厳密な意味での制度の施行はないが,服忌の観念はいまでも広く社会に浸透している。

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