長野県の南西部(一部岐阜県東南部を含む)、木曽川、奈良井川(ならいがわ)流域の狭長な谷の呼称。広義には、木曽川、王滝川(木曽川の支流)と奈良井川の流域を含め、西の鉢盛山から御嶽(おんたけ)山と、東の木曽山脈に挟まれた地域。古代から中世までは美濃国(みののくに)(岐阜県)に属し、近世になって信濃国(しなののくに)(長野県)と確定し、尾張(おわり)藩領であった。キソは岐蘇、吉蘇、岐曽、吉祖などと書かれたが、木曽氏(清和(せいわ)源氏)の興隆によって木曽が多く用いられるようになった。
[小林寛義]
全面積の78%は森林山岳地で耕地は全面積のわずか2%にすぎない。このように木曽谷はすべて山地であるといっても過言ではない。この山地を、鳥居峠を境に南流する木曽川とその支流、北流する奈良井川が狭い渓谷を形成している。両河川本流の西は乗鞍(のりくら)、御嶽の両火山で、東側は木曽山脈で限られる狭長な谷で、御嶽火山から流出して木曽川に注ぐ王滝川の東西方向の谷を除いて、本流沿いの谷はほぼ南北方向をとり、冬期の日照時間は4時間内外である。
木曽谷の範囲については、東西は前記両山地に限られた分水界までであるが、北は慣習的には中山道(なかせんどう)の最初の通路にあたる塩尻(しおじり)市桜沢にある「是(これ)より南木曽路」の石碑から、南は馬籠(まごめ)(岐阜県中津川市)にある「是より北木曽路」の石碑までとする考えが一般的である。しかし、鳥居峠の北と南では、樹相が北はカラマツ、南はヒノキや松・カラマツ、生活環境は北は塩尻市や松本市との結び付きが多いなど、峠を境に南北の性格はかなり違っている。
[小林寛義]
木曽谷の存在が信州以外にも知られるようになったのは、木曽冠者(かんじゃ)源義仲(よしなか)が平家打倒の兵をおこし、京都に軍を進めてからである。その後、義仲の子孫と称する木曽氏が1300年代の初めから統治したが、豊臣(とよとみ)秀吉のころから豊富なヒノキの天然林が注目され、近世を通じ尾張藩の支配を受け、厳しい山林保護策により乱伐を防いできた。一方、近世初期、五街道の一つ中山道が通過することになり、この谷に11の宿場が形成され、美しい自然も、歌川広重の「木曽海道六拾九次之内」などで世に紹介された。今日、木曽谷には、この近世の街道交通に関係ある宿場や関所、番所、峠、桟(かけはし)などの旧跡と、山林行政の元締めの山村代官屋敷、あるいは御嶽信仰にまつわる宗教上の事跡など、歴史的背景は豊かである。
[小林寛義]
1960年代後半から木曽谷は観光ブームの状態で、それまで観光客がまばらであったのに比較すると、まさに木曽谷の夜明けの観がする。このような現象を招来した原因には、観光客が要求する、歴史的背景と自然美および文学的雰囲気の三者を備えているところにある。
自然美では、日本最大の天然ヒノキ林が赤沢自然休養林(森林公園)をはじめ、阿寺(あてら)渓谷、あるいは王滝川上流に残存しているが、これらはいずれも木曽川本流沿いにはなく、支流の渓谷に入らなければならない。また寝覚の床(ねざめのとこ)(国指定名勝)に代表されるような清流と花崗(かこう)岩の峡谷美、滝(田立の滝(ただちのたき)、清滝など)なども各地にある(寝覚の床および田立の滝周辺の地域一帯は、中央アルプス国定公園に指定されている)。しかし、これらも本流のものより、支流へ深く入ると、いまだ世人の知らないような優れた峡谷があり、とくに王滝川の支流鰔(うぐい)川や阿寺川、伊奈(いな)川の峡谷美はすばらしい。
文化面では、国指定の史跡には福島関跡、重要文化財には定勝寺(じょうしょうじ)(山門、本堂、庫裡(くり))、白山神社(本殿)、読書発電所施設などがあり、上松(あげまつ)町の駒ヶ岳神社の太々神楽(だいだいかぐら)は国選択無形民俗文化財。そのほか重要伝統的建造物群保存地区として、塩尻市奈良井、同木曽平沢、南木曽町妻籠宿(つまごしゅく)がある。名所には庭園の美しい極楽(ごくらく)寺、義仲ゆかりの徳音寺、山村氏の菩提(ぼだい)寺で庭園の美しい興禅(こうぜん)寺、円空仏を多く納める等覚(とうかく)寺などがある。
文化施設には、木曽漆器館、楢川歴史民俗資料館、木曽郷土館、木曽福島郷土館、大桑村歴史民俗資料館、福沢桃介記念館、馬籠脇(わき)本陣史料館など、歴史、産業、民俗的なものが多い。そのほか、昔ながらの伝統を継ぐ漆器生産や藪原(やぶはら)のお六櫛(ぐし)と妻籠近くの檜笠(ひのきがさ)、さらにその奥の木地師(きじし)集落漆畑(うるしばた)の木地漆器生産などもある。
また、木曽谷を世に紹介したのは島崎藤村(とうそん)ともいえる。中山道の宿場馬籠を中心に、隣の宿妻籠には藤村文学ゆかりのものが多く、藤村記念館、清水屋(しみずや)資料館、槌馬屋(つちまや)文書館、永昌(えいしょう)寺などがあり、木曽町には姉の嫁ぎ先「高瀬家」がある。鳥居峠の句碑群も木曽谷のもつ歴史の文学的表現であろう。
[小林寛義]
『原田伴彦著『木曽信濃路の魅力』(1960・淡交新社)』▽『菊池重三郎著『木曽路の旅――自然と人と』(1962・秋元書房)』▽『『木曽――歴史と民俗を訪ねて』(1968・木曽教育会)』▽『生駒勘七・宮口しづえ著『木曽と暮し』(1969・朝日新聞社)』▽『秋里籬島編『木曽路名所図会』(1972・名著出版)』▽『生駒勘七著『中山道木曽十一宿――その歴史と文化』(1980・郷土出版社)』
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