本多静六(読み)ホンダセイロク

  • 本多静六 ほんだ-せいろく

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

1866-1952 明治-昭和時代の林学者。
慶応2年7月2日生まれ。ドイツ留学後,母校帝国大学の助教授。「日本森林植物帯論」で日本初の林学博士となり,明治33年東京帝大教授。日比谷公園,明治神宮など各地の公園や庭園を設計した。昭和27年1月29日死去。85歳。武蔵(むさし)埼玉郡出身。旧姓柳原。著作に「本多造林学」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

1866‐1952(慶応2‐昭和27)
林学者。埼玉県に生まれ,帝国大学農科大学林学科を1890年に卒業ののち,ドイツに留学。帰国後,母校の教授として後進を指導。《造林学前論》全5巻,《造林学本論》全5巻,《造林学後論》全3巻などの著書のほか,《日本の植物帯殊ニ森林帯ニ就テ》《我国地力衰弱ト赤松》などの論文がある。後者の論文の主旨はアカマツ林の増加は地力の衰弱を意味し,生産力の減退と洪水干ばつの増加をもたらすというもので,〈赤松亡国論〉として知られる。

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精選版 日本国語大辞典の解説

林学者。埼玉県出身。日本最初の林学博士。日比谷公園などを設計し、国立公園の設置に尽力した。帝国森林会会長。著書「本多造林学」など。慶応二~昭和二七年(一八六六‐一九五二

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世界大百科事典内の本多静六の言及

【日比谷公園】より

…そこで建築家辰野金吾に公園設計を依頼したが,幅10間の大道路を中心とするあまりに西洋的な案で,採用されず,実施を迫られた東京市は,みずから設計案を作成した。その案を発展させる形で,林学者本多静六(1866‐1952)が実施案を作成した。この際一部分を日本庭園とするべく小沢圭次郎に依頼したが,当初案は失敗し,この一角はのちまで変転を重ねた。…

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