本居豊穎(読み)モトオリトヨカイ

デジタル大辞泉 「本居豊穎」の意味・読み・例文・類語

もとおり‐とよかい〔もとをりとよかひ〕【本居豊穎】

[1834~1913]国学者歌人内遠長男で、宣長曽孫にあたる。紀州侯に仕え、明治維新後は神道界で活動。著「古今集講義」など。

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精選版 日本国語大辞典 「本居豊穎」の意味・読み・例文・類語

もとおり‐とよかい【本居豊穎】

  1. 国学者、歌人。本居内遠の子。父の跡を継いで和歌山藩に仕え、明治維新後は神道界で活躍、神道大教正となる。女子高等師範学校教授、東大講師、御歌所寄人などを歴任。著「打聴鶯蛙集」「古今集講義」「諄辞集」「秋屋集」など。天保五~大正二年(一八三四‐一九一三

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改訂新版 世界大百科事典 「本居豊穎」の意味・わかりやすい解説

本居豊穎 (もとおりとよかい)
生没年:1834-1913(天保5-大正2)

幕末・近代の国学者,歌人。通称中衛。秋屋(あきのや)と号した。宣長の曾孫。若くして父内遠に死別,母藤子の激励もあって紀州藩の古学館教授となる。維新後は神祇官,教部省などの官職を歴任,のち東宮侍講に任じた。また東京帝大や国学院の講師を兼ねながら,大八洲(おおやしま学会主宰,国学と和歌振興に尽力した。《古今集講義》などの著書のほか,歌文集《秋屋集》や祭詞集《諄辞集》がある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本居豊穎」の解説

本居豊穎 もとおり-とよかい

1834-1913 幕末-明治時代の国学者。
天保(てんぽう)5年4月28日生まれ。本居内遠(うちとお)の長男。紀伊(きい)和歌山藩国学教授。維新後は東京の神田神社祠官となり,また東京大学講師,高等師範・女子高等師範教授として古典を講義した。明治29年東宮侍講。大正2年2月15日死去。80歳。紀伊和歌山出身。号は秋屋(あきのや)。著作に「古今和歌集講義」など。

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