(堀内亨)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
戦国期から江戸初期の武将。弥次郎。越前守。越後国岩船郡小泉荘本庄(現、新潟県村上市)の領主本庄房長の長子。叔父小河長資に奪われた本庄城(村上城)を1551年(天文20)回復し本庄の領主となる。1563年(永禄6)に上杉謙信に属し関東出陣に参加し軍功をあげたが、1568年には武田信玄と結んだため謙信の攻撃を受け対立した。謙信死後の御館の乱(おたてのらん)では、上杉景勝(かげかつ)に味方し景勝の下でも下越(かえつ)随一の勢力を保持した。庄内地方に進出を図る最上義光(もがみよしあき)と対立したが、1589年(天正17)豊臣秀吉の裁定で繁長は庄内支配を公認された。しかし翌年秀吉は景勝に庄内仕置を命じた。1591年出羽仙北一揆(でわせんぼくいっき)が起こると、繁長は一揆画策を疑われて改易、大和に蟄居(ちっきょ)した。1592年(文禄元)の朝鮮陣に許されて参陣し再び景勝に仕えた。1598年(慶長3)秀吉により景勝が会津に転封(てんぽう)となると、これに従い陸奥(むつ)田村郡守山城代となり1万石を与えられた。関ヶ原の前哨戦である会津口の戦いでは、信夫郡(しのぶぐん)福島城主として徳川方の伊達氏を苦しめたが、戦後景勝が米沢に転封されると繁長の所領も3分の1となった。慶長18年福島城で没。74歳。本庄家に伝来した古文書等は北海道立公文書館が所蔵する。
[木越隆三]
『渡辺三省著『本庄氏と色部氏』(1987・村上郷土研究グループ)』▽『『村上市史 通史編1』(1999)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
《「ノブレスオブリージュ」とも》身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞...
12/21 デジタル大辞泉を更新
12/21 デジタル大辞泉プラスを更新
12/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/28 デジタル大辞泉プラスを更新
10/28 デジタル大辞泉を更新
10/27 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新