改訂新版 世界大百科事典 「本覚思想」の意味・わかりやすい解説
本覚思想 (ほんがくしそう)
本覚とは始覚(しがく)に対する語。始覚とは,はじめて〈さとる〉こと,教えを聞いて修行し,はじめて得られる〈さとり〉。しかし,〈さとり〉を体験するのは,本来わが身にさとりがそなわっているからだとして,それを本覚と名づける。本覚,すなわち本来そなえている覚(さとり)に気づかないことを不覚(ふかく)といい,不覚をとりはらうことによって始覚を得られると考えられた。《金剛三昧経》《仁王般若経》に本覚の語がみえ,《大乗起信論》には始覚と本覚との関係が述べられている。ただし,その段階では本覚はあくまでも内在的なものとして意味づけられている。それに対して,中国の華厳哲学では法蔵(ほうぞう)(643-712)らによって主体としての心が強調され,仏性(ぶつしよう)が仏智・霊知の覚とみなされ,有情(うじよう),すなわち心ある存在に限ってそのような仏性が認められた。また中国天台では《華厳経》の一心説を引用しつつ,主体としての心を強調したが,根本的には色(しき)(存在)と心の双具,双融を主張し,一心から万象が発生するとする考え方を批判した。しかし,湛然(たんねん)(711-782)に至って華厳哲学の影響を受け,唯心という見解を明確にしなければ,すべての教えを束ねる大教はまったく無用になるだろうと説いた。
日本では,空海,最澄については本覚思想を確かめることは困難である。日本天台本覚思想は,本覚を内在的なものとか,または一心において顕現するという考え方に対して,それをさらに一歩おし進めて,現実の事象こそ永遠な真理の生きたすがたであると主張するにいたる。すなわち,これを事本,事円,事実相,事常住などの概念によって,明らかにしようとした。そのような本覚思想は,秘授口伝(ひじゆくでん)などとして,また切紙相承(きりがみそうじよう)として個々別々に,最澄,円仁,円珍らの権威ある名を冠して伝えられた。さらに良源,源信がこれらを集成して檀那流(だんなりゆう),恵心流(えしんりゆう)の中古天台教学を形成したとする伝説をともなって伝えられた。しかし実際には,だれがどのように考え,だれにどのように伝えたかほとんど不明である。これらの口伝は,おそらく,平安時代の11世紀半ばから12世紀半ばに文献化が始まり,平安末期から鎌倉初期に心性本覚の説がうち出され,鎌倉中期から鎌倉末期に三重七箇法門,四重興廃などの諸論が整理されたことも推定されている。鎌倉新仏教の法然,親鸞,道元,日蓮らやその門下にも,本覚思想への反発と同時にその摂取をみることができ,ひいては本覚思想が日本仏教思想の基層をなしているともみられる。
執筆者:渡辺 宝陽
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報