杉原村(読み)すいばらむら

日本歴史地名大系 「杉原村」の解説

杉原村
すいばらむら

[現在地名]粉河町杉原

紀ノ川の南岸、竜門りゆうもん山の北山麓に位置し、北は川を挟んで粉河村、東は安良見あらみ村、西は勝神かすかみ村・新在家しんざいけ村に接する。「続風土記」は「高野山所蔵弘安八年の文書に水原すいはら荘あり、当村をいへるなるへし、村中産土神社元禄の石燈籠の銘にも水原村と書す水原すいはら杉原すぎはらの音便なり、当村二所に分る、西にあるを西杉原といふ、東にあるを東杉原といふ、皆山岸にて平地に人家なし、西杉原に藤淵といふあり、古の紀ノ川筋といふ」「当村古は安楽川の荘の内なるへし、古紀の川南に寄て流れ、後漸々北に移る、因りて田地を闢墾し一村落をなしゝと見ゆ」と記している。

地名は建長八年(一二五六)六月日付の金剛峯寺衆徒愁状案(又続宝簡集)に「荒見・水原村」とみえ、両村が粉河寺押領されたと訴えている。なお徳治二年(一三〇七)八月日付の阿河庄地頭披陳状(又続宝簡集)に付された頼聖具書案などには「水原庄」とみえている。また建暦三年(一二一三)一二月六日付の荒河庄没官領支配状(又続宝簡集)に、配分された没官地として「水原屋敷前」「水原東谷」などがみえる。もしこれが当地とすれば高野山領荒川あらかわ庄に含まれていたことになる。


杉原村
すぎはらむら

[現在地名]能勢町杉原

歌垣うたがき(五五三・五メートル)の南東麓にある山間村。東は丹波国桑田くわた犬甘野いぬかんの(現京都府亀岡市)、北西は歌垣山を隔てて吉野よしの村、西は堀越ほりこし峠を経て倉垣くらがき村へ通じる。村名は「スイハラ」とも訓ずる(元禄郷帳)。もとは犬甘野村の一部で、多田ただ(現兵庫県川西市の多田神社)領であったが、地黄じおうに陣屋を構えた旗本能勢氏が自領である桑田郡灰田はいだ(拝田村、現亀岡市)のうち三〇石との交換を幕府に願出たことにより、慶長七年(一六〇二)杉原村として分村された(酒井家文書)


杉原村
すぎはらむら

[現在地名]宮川村杉原

宮川左岸にあり、南はくわたに村。慶長一八年(一六一三)の飛騨国郷帳では小鷹利こたかり郷に属し、高四六石余。元禄検地帳(宮川村文書)では高五二石余、田八反余・畑一一町三反余。漆畑一反余、ほかに焼畑二町一反余がある。名請人は寺とも一五人、屋敷持一七人で、ほかに小豆沢あずきざわ村よりの入作者一〇人。「飛騨国中案内」では免二割八分一厘余、家数二三(うち寺一・百姓一八・門屋四)


杉原村
すぎはらむら

[現在地名]勝田町杉原

河内こうち村の南、梶並かじなみ川右岸に立地。南は矢田やた村、対岸東方は大町おおまち村。正保郷帳にみえる勝北しようぼく豊久田とよくだ(大部分は現勝央町)に属していたと考えられ、天保郷帳にも記載がない。旧高旧領取調帳では豊久田村杉原分とあり、高一三五石余。ただし文化期(一八〇四―一八)の「東作誌」によれば、承応四年(一六五五)に豊久田村から分村し、元禄一〇年(一六九七)まですぎ村と称したという。


杉原村
すぎはらむら

[現在地名]板取村 杉原・杉島すぎしま

板取川の分岐点南に位置する。南の下流に保木口ほきぐち村・田口たぐち村、北東上流部は島口しまぐち村で、その東に出郷杉島がある。「濃州徇行記」は「すいはら」と訓ずる。北西上流部は川浦かおれ谷といい、この奥には民家はなく、一〇〇〇メートル級の山々が連なる。天正一七年(一五八九)七月一五日の板取之内村々検地帳写(長屋文書)に「すいはら」とみえ、高四石余、畑八反五畝余・屋敷一反三畝、名請人数五。文禄三年(一五九四)八月二一日の深尾左介外二名連署申付状(同文書)には杉原村と記され、山年貢三石七斗五升を定められている。


杉原村
すぎはらむら

[現在地名]加美町杉原

奥豊部おくとよべ村の北、杉原川中流域西岸に位置する。慶長国絵図に村名が記載される。正保郷帳では田方一七石余・畑方四〇石余、幕府領。延宝五年(一六七七)の検地帳(杉原区有文書)では高五八石余・反別七町七反余、小物成は山手銀四匁・鉄砲役銀一〇匁。天保郷帳では高五四石余。旧高旧領取調帳では幕府領。明治四年(一八七一)の戸数二三(「村々高并戸数控帳」宮崎家文書)


杉原村
すぎはらむら

[現在地名]山添村大字北野きたの

神野こうの山の北麓にあり、北野村おく集落の南に接する。深川ふかわ(現都村)の出屋敷という。慶長郷帳では村高六三・七六四石、幕府領(代官間宮三郎右衛門)。元和五年(一六一九)津藩(藤堂高虎)領に編入された。


杉原村
すいばらむら

[現在地名]美並村山田やまだ 杉原

長良川右岸にあり、南東は赤池あかいけ村、東は三日市みつかいち村。慶長郷帳に「すい原村」とあり、高九九石。正保郷帳では赤池村とともに記される。宝暦六年(一七五六)の郡上郡村高覚帳(鈴木文書)では家数二一(水呑四)、年貢米四五石余、神社分の高一石四斗余・年貢米一斗余がある。安永二年(一七七三)の郡上領留記(大西文書)は下川筋川東に位置づける。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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