日本歴史地名大系 「赤池村」の解説
赤池村
あかいけむら
- 愛知県:稲沢市
- 赤池村
南北に長く、南は
弘安五年(一二八二)段 已畠中嶋郡北条河崎郷」とみえるのが初見。
赤池村
あかいけむら
赤池村
あかいけむら
赤池村
あかいけむら
彦山川の中流左岸に位置し、東の対岸はによる水運の拠点として重視された。元和八年人畜改帳に村名はみえない。正保国絵図に「弁城ノ内 赤池」と記され、元禄国絵図でも同じだが、天保郷帳・旧高旧領取調帳に村名はみえない。しかし享保飢饉による当村の餓死者は三八人とされており(小倉開善寺過去帳)、元禄―享保期(一六八八―一七三六)に弁城村から分村した可能性がある。寛永一二年(一六三五)に小倉藩の郷蔵が設置され(田川市史)、集められた年貢は彦山川を下り、水路で小倉城の本蔵へ運送された。
赤池村
あかいけむら
赤池村
あかいけむら
赤池村
あかいけむら
赤池村
あかいけむら
赤池村
あかいけむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報