条支(読み)じょうし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「条支」の意味・わかりやすい解説

条支
じょうし

漢代の中国人が伝えた西アジア地名ドイツ生まれのアメリカ人中国学者ヒルト、日本の白鳥庫吉(しらとりくらきち)、藤田豊八(とよはち)はいずれも、これを当時の安息(あんそく)国すなわちパルティア国領内のペルシア湾に近い地方に求めた。しかし、これは、東から進んで条支に至る途中にある地名、斯賓(しひん)と斯羅(しら)を、クテシフォンセレウキアとしたためである。これらはソフェーネとオスロエーネと考えられ、したがって、条支はその西に接するシリアでなければならない。条支はこの地方の中心であった港市セレウキアの音訳と思われる。

宮崎市定

『宮崎市定著「条支と大秦と西海」(『アジア史研究1』所収・1957・東洋史研究会)』

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「条支」の解説

条支(じょうし)
Tiaozhi

97年,西域都護班超(はんちょう)部下甘英(かんえい)大秦(たいしん)国(ローマ)に派遣した。甘英は途中条支にまでたどりつき,そこで生きた安息雀(ダチョウ)を入手し,安息(パルティア)使節を伴って帰還した。条支はたぶんペルシア湾沿岸の一地方で,海上交通によりローマ,エジプト,インド各地に通じ,多くの特産物が運び込まれていた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「条支」の意味・わかりやすい解説

条支
じょうし
Tiao-zhi; T`iao-chih

古代中国の歴史書にみえる西方の国の名。その位置については,カルディア,ファールス,シリアなどがあてられ,定説がない。

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