来間島(読み)ふふやまじま

日本歴史地名大系 「来間島」の解説

来間島
ふふやまじま

宮古島南西約一・三キロに位置する低島。面積二・八三平方キロ。下地町に属する。方音ではフフャマズマ。一八八六年(明治一九年)の「寰瀛水路誌」でも来間島と記されている。北西―南東方向に二・四キロ、北東―南西方向に一・七キロの楕円形状で、最高標高は北東部の崖上の四六・九メートル。地質は第四紀更新世の琉球石灰岩。北東から東にかけて比高一〇―二〇メートルの断層崖があり、全体的には北東から南西方向に緩やかに傾斜している。透水性の大きな琉球石灰岩で覆われているために川や湖沼はみられない。北東側の崖下には来間ガー(来間井)と称される湧泉があり、宮古島から海底送水による給水が始まるまで生活用水に利用されていた。北東と北西の海岸には小規模の砂浜があり、前者には桟橋がある。島の周囲にサンゴ礁がみられ、とくに北側で発達している。宮古島との間の水路は水深が一〇メートル以下で、海底は砂質で潮の干満に伴って流れの方向が変わり、流れは比較的速い。そのせいか海底のサンゴ生育は良くない。

琉球石灰岩上(標高約四〇メートル)および崖下に立地する来間くりま遺跡は、一五世紀から近世にかけての島内唯一の集落遺跡。崖下の来間ガーを中心とした遺跡で、その周辺に土器や陶磁器が散在している。丘陵上にはアガリヌ御嶽(東御嶽)・イリヌ御嶽(西御嶽)および遠見台があり、数十段の石段を設けてある。集落西方の入間原いまばりに墓室の屋根材に大きなテーブルサンゴを利用したスムリャーミャーカと称される古いタイプの墓があり、県指定史跡。ミャーカ(巨石墓)は沖縄島風の墓地様式が宮古に入る以前の、風葬様式をとどめた宮古在来の墓といわれ、伊良部島・宮古島南岸・来間島に多くみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「来間島」の解説

来間島

沖縄県宮古島市、宮古島の南西に位置する島。「くりまじま」と読む。面積約2.84平方キロメートル。約1.7キロメートルの長さの来間大橋で宮古島と結ばれる。サトウキビ、アロエ島バナナなどの農業が盛ん。竜宮展望台からは対岸の宮古島への眺望が楽しめる。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の来間島の言及

【下地[町]】より

…沖縄県宮古郡の町。宮古島南西部と,2km沖合の来間(くりま)島からなる。人口3036(1995)。…

※「来間島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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