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東亜連盟 とうあれんめい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東亜連盟
とうあれんめい

石原莞爾を指導者とする右翼的国家社会主義団体。日本,満州,中国による「東亜連盟」の結成を構想,「王道主義」を指導原理として,国防の共同,経済の一体化,政治の独立,文化の交流を掲げ,1939年東亜連盟協会として組織化された。月刊機関誌『東亜連盟』を発行,国内会員約 10万といわれた。東条英機に解散を強要され,42年9月東亜連盟同志会と改称し「昭和維新」を目指したが,敗戦後,連合軍総司令部により解散させられた。 52年旧東亜連盟の復活がはかられ再び東亜連盟同志会が結成された。

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百科事典マイペディアの解説

東亜連盟【とうあれんめい】

石原莞爾(かんじ)の唱えた日中連携の理論。実践団体として1939年に結成された東亜連盟協会をもつ。東亜新秩序,日本・満州・中国の大同団結スローガンとしたが,石原が公然と〈世界最終戦争〉を目ざしたため東条英機内閣東亜連盟論を禁止,1942年に東亜連盟同志会と改組。

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世界大百科事典 第2版の解説

とうあれんめい【東亜連盟】

石原莞爾(かんじ)の唱えた日中提携の理論。東亜連盟という語は1933年,満州国協和会の目的に見られるが,日中戦争の長期化と日本の国力消耗を憂慮した石原が,中国民族運動の高揚に触発されて宮崎正義らと38年末具体化した。それは〈国防の共同,経済の一体化,政治の独立〉を条件として,日本と中華民国および〈満州国〉が手を結ぼうという趣旨の理論であった。3国間の政策の一致ないし一部の国家機関の共同により日中両民族の対立を提携に転換させることで,戦争の速やかな終結をはかることに当初の主眼があった。

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大辞林 第三版の解説

とうあれんめい【東亜連盟】

石原莞爾かんじの構想にもとづいて、日本・中国・「満州国」の一体化をめざして1939年(昭和14)結成された団体。正式名称は東亜連盟協会。46年解散。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東亜連盟
とうあれんめい

石原莞爾(かんじ)の指導のもとに石原構想の実現を目ざした団体。正式名称は東亜連盟協会であるが、月刊機関誌『東亜連盟』によりこれが通称となった。1939年(昭和14)10月、木村武雄(たけお)らにより東京で創立され、翌年には会員数1万5000人、機関誌約3万部を発行するに至り、中国でも汪兆銘(おうちょうめい)、繆斌(みょうひん)らがこれに呼応する動きをみせた。石原の構想は、日本をアジアさらに世界の盟主とし、そのための「東洋文明圏」を結成するというものであった。東亜連盟はその一階梯(かいてい)として、日本、「満州国」、中国の一体化を目標とし、王道主義の統治を説く一方、「国防の共同」「経済の一体化」を図り、アメリカとの世界最終戦争に備えようとした。そのため日中戦争の収拾を図り対米開戦に反対したが、東条英機(とうじょうひでき)内閣の圧迫を受けて勢力を失った。46年(昭和21)1月、占領軍により解散させられた。[佐々木隆爾]

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