東台(読み)とうたい

精選版 日本国語大辞典 「東台」の意味・読み・例文・類語

とう‐たい【東台】

(「とうだい」とも。「台」は台嶺のこと)
[一] 東寺延暦寺
[二] (関東の台嶺の意) 東叡山。東京都台東区の寛永寺とその寺のある上野の山の異称東岱(とうたい)
※匏菴十種(1869)〈栗本鋤雲〉暁窓追録「殆んど東台墨堤遊春の客に似たり」

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日本歴史地名大系 「東台」の解説

東台
ひがしだい

[現在地名]水戸市東台一丁目

東は十軒じつけん町、西は竹熊たけくま町。中世武熊たけくま村に属した。「水府地名考」に「此所は銀町より石垣橋際へ通する町なり、案るに古へは竹熊の地内にて、土地も高き故、東台の名ありと聞へたり」「義久当地に住せしより、東の名も相応なれハ、当時にハお東と称せしゆへ、今におひかしの称存せり、又一つ旗の城の如くなりしと見へ、搦手町なと云へる唱へも伝ハりし也」とある。一帯は自然堤防の微高地であったと思われ、「新編常陸国誌」に「藤原氏江戸ノ族、世々此処ニ居リ、武熊氏トナル、其ノ居城ハ即今東台ノ地ニテ、武熊城ト云ヘリ」とある。佐竹氏の秋田移封後はこの地の城も廃城となったため、寛永初年の町造成と慶安四年(一六五一)やなぎ堤築造のとき採土されて東台は平地となり、諸士屋敷となった。

東台
ひがしだい

[現在地名]亀山市東台町

亀山城の東にあたる。東西に長く延びた東町の北側に位置する士族屋敷地の一部を構成。地獄じごく谷・おお谷とよばれる小渓谷で城下中心部と隔てられている。近世初期からの屋敷地で、石川氏の慶安四年(一六五一)に二九人、板倉氏の寛文九年(一六六九)に二七人の各家中の侍が居住。藩医六人部寿仙以来、東台には代々六人部家が住み、寛文年中(一六六一―七三)の玄東は医業に携わる一方で国学を学び、白川家より神道学の印可免状を得た(亀山地方郷土史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報