朝日日本歴史人物事典 「東巌慧安」の解説
東巌慧安
生年:嘉禄1(1225)
鎌倉後期の臨済宗の僧。播磨国(兵庫県)生まれ。書写山円教寺で剃髪受具し,天台を学ぶ。正嘉1(1257)年宋に渡ろうとして博多に行くが,悟空敬念に会い師事し,渡宋をやめる。さらに,鎌倉建長寺に行き宋よりきた兀庵普寧に参禅し,その法を嗣ぐ。京都に戻りその名声は高まり,聖護院執事静成法印の帰依を受け,一条今出川に正伝寺を開くが,比叡山の衆徒らの恨みを買い,堂舎を破却される。蒙古襲来の際は,祈祷を凝らし,「すゑの世の末の末までわか国は よろづのくにゝすぐれたる国」の歌は有名である。安達泰盛の帰依を受け鎌倉の聖海寺で没する。
(原田正俊)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報