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正伝寺 しょうでんじ

世界大百科事典 第2版の解説

しょうでんじ【正伝寺】

京都市北区西賀茂にある臨済宗南禅寺派の寺。吉祥山と号する。来日した中国の禅僧兀庵普寧(ごつたんふねい)の高弟だった東巌慧安(とうがんえあん)を開山として,1268年(文永5)一条今出川(現在の京都御所北東付近)に開創,82年(弘安5)現地に移った。開山慧安は元寇にあたって石清水八幡宮に蒙古降伏を参籠祈願し,亀山上皇の賞をえて正伝護国寺の号を下賜されたことは史上に有名であり,このときの東巌禅師筆蒙古降伏起請文(重要文化財)も伝蔵されている。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

正伝寺
しょうでんじ

京都市北区西賀茂鎮守庵(ちんじゅあん)町にある臨済(りんざい)宗南禅寺派の寺。正しくは吉祥山(きっしょうざん)正伝護国禅寺(しょうでんごこくぜんじ)。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。1268年(文永5)宋(そう)僧兀庵普寧(ごったんふねい)の高弟東巌慧安(とうがんえあん)を開山として創建され、もと一条今出川(いちじょういまでがわ)(上京(かみぎょう)区)にあった。文永(ぶんえい)の役(1274)に慧安が石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)にこもって国家安泰を祈願したことによって、亀山(かめやま)天皇より吉祥山正伝護国禅寺の号を下賜された。のち天台宗の山徒の迫害にあい堂宇は破却され、1282年(弘安5)に現在地に再建された。1323年(元亨3)後醍醐(ごだいご)天皇によって勅願寺と定められ、足利(あしかが)氏、徳川氏の庇護(ひご)を受けて栄えたが、明治維新後は荒廃し、復興をみたのは第二次世界大戦後である。方丈(国重要文化財)は伏見桃山(ふしみももやま)城御成殿の遺構を1653年(承応2)に移建したもの。方丈各部屋の襖絵(ふすまえ)は狩野山楽(かのうさんらく)筆の中国、杭州(こうしゅう)西湖山水楼閣図である。方丈広縁の天井は「伏見桃山城の血天井」として知られる。また庭園は小堀遠州作と伝える。寺宝に兀庵普寧禅師頂相(ちんそう)2幅、東巌禅師蒙古(もうこ)降伏祈祷(きとう)文(いずれも国重要文化財)などがある。[菅沼 晃]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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