東金(市)(読み)とうがね

日本大百科全書(ニッポニカ) 「東金(市)」の意味・わかりやすい解説

東金(市)
とうがね

千葉県中東部、下総(しもうさ)台地と九十九里平野に広がる市。1953年(昭和28)山武(さんぶ)郡東金町と公平(こうへい)、丘山(おかやま)、大和(やまと)、正気(まさき)、豊成(とよなり)の5村が合併、翌年源(みなもと)村と福岡村の各一部を編入し市制施行。地名は中世に築かれた千葉氏の城名、鴇カ峰・鴇ヶ根(ときがね)の転化によるといわれる。下総台地の麓(ふもと)に沿ってJR東金線と国道126号、128号が走り、九十九里浜を結ぶバス網が発達している。圏央道、千葉東金道路、東金九十九里有料道路が通じ、国道409号もあり、県都千葉市方面と九十九里方面を結ぶ交通の要(かなめ)の位置にある。

 中世、千葉氏の一族が鴇ヶ根城(のち東金城)を築き、以後酒井氏が5代にわたって東金城を本拠に支配し、城下町が形成された。江戸時代は天領となって代官所が置かれ、旗本領ともなった。徳川家康・秀忠(ひでただ)のときに東金御殿とよばれる鷹狩(たかがり)の用邸が設けられ、船橋と東金を結ぶ直線状の東金街道(御成(おなり)街道)も開設された。九十九里浜での干鰯(ほしか)や〆粕(しめかす)、平野部での農産物を集散し、また上総木綿(かずさもめん)の問屋もあり、六斎市(ろくさいいち)も立って商業の発達をみた。今日、米作を中心に野菜栽培やマキなどの植木生産が盛んで、工業団地や大規模な住宅地も開発され、長生(ちょうせい)・山武(さんぶ)地方の農業、商業の中核都市となっている。サクラの名所八鶴湖(はっかくこ)は東金城跡に接してあり、1614年(慶長19)代官島田伊伯(いはく)がつくった灌漑(かんがい)用の雄蛇ヶ池(おじゃがいけ)もあって、いずれも舟遊び、釣り、ハイキングに利用されている。日吉(ひえ)神社で演じられる東金囃子(ばやし)や北之幸谷稲荷(きたのこうやいなり)神社の獅子舞(ししまい)は県無形民俗文化財に指定されている。面積89.12平方キロメートル、人口5万8219(2020)。

[山村順次]

『『東金市史』全4巻(1976~1980・東金市)』


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