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奥山荘 おくやまのしょう

百科事典マイペディアの解説

奥山荘【おくやまのしょう】

越後国蒲原(かんばら)郡北部から岩船(いわふね)郡南部にわたる広大な荘園。現新潟県北蒲原郡の胎内(たいない)川流域一帯にあった。摂関家(せっかんけ)領。城(じょう)氏を開発領主として12世紀には成立。鎌倉時代三浦和田氏が地頭職を世襲,1240年地頭請となり,事実上和田氏の支配となる。1277年には北条(きたじょう)・中条・南条に分割相続,それぞれ黒川氏・中条氏関沢氏を名乗り,惣領(そうりょう)として庶子を被官化,黒川・中条両氏は室町〜戦国期に有力国人領主に成長した。なお鎌倉後期の《奥山荘波月条絵図》《荒川保・奥山荘堺相論和与絵図》(いずれも重要文化財)には地頭屋敷・在家・寺院・市・墓塔・橋・荘境などが忠実に描かれ,現に境界【ぼう】示(ぼうじ)や石造板碑(いたび)などが残る。

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世界大百科事典 第2版の解説

おくやまのしょう【奥山荘】

越後国蒲原郡(新潟県北蒲原郡中条町,黒川村,加治川村と一部岩船郡関川村)の荘園。摂関家領。成立の時期は不明であるが,越後城(じよう)氏のなかに〈奥山〉を称する者があり,城氏を開発領主として12世紀には成立したとみられる。源平争乱で城氏が没落したあと,その地頭職木曾義仲を追討した恩賞として和田義盛の弟義茂に与えられた。和田氏,三浦氏が和田合戦,宝治合戦で没落した後は,奥山荘だけが義茂の子孫三浦和田氏の〈一所懸命〉の地となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

奥山荘
おくやまのしょう

越後(えちご)国蒲原(かんばら)郡北部から岩船郡南部にわたる荘園。現在の新潟県新発田(しばた)市加治川(かじかわ)地区、胎内(たいない)市と岩船郡関川村にまたがる地域。摂関家領。開発領主は城(じょう)氏。和田義茂(よしもち)が鎌倉幕府成立後奥山荘地頭職(じとうしき)に補任(ぶにん)され、義茂の弟宗実(むねざね)、義茂の子重茂(しげもち)、さらに重茂の妻津村尼(つむらあま)から時茂(ときもち)に伝領された。時茂は孫である茂長(もちなが)、茂連(もちつら)、義基に荘園を三分して譲り、黒川、中条、関沢の3家が分立した。鎌倉後期に作成された「越後国奥山庄波月条(なみづきのじょう)絵図」は当時の荘園の景観を知るうえで貴重なものである。鎌倉幕府の滅亡以後、黒川氏は足利(あしかが)氏に属し、また中条氏は一時所領を没収されたが、内乱の過程で所領を回復し、ともに越後国揚北(あがきた)地方の有力国人となり、また関沢氏も守護上杉氏の被官となっていった。[伊藤喜良]

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世界大百科事典内の奥山荘の言及

【中条氏】より

…越後の中世武家。奥山荘を領した三浦和田氏の惣領家。相模国の雄族三浦氏の一族和田義茂が鎌倉時代のはじめ奥山荘地頭となって以来,分割相続によって荘内の各地は一族が分領する形態をとった。…

※「奥山荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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