コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

林広守 ハヤシヒロモリ

5件 の用語解説(林広守の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

はやし‐ひろもり【林広守】

[1831~1896]雅楽家。大坂の生まれ。笙(しょう)の名手で、製作もよくした。宮内省雅楽局伶人長として奥好義(おくよしいさ)・林広季の合作「君が代」を完成。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

林広守 はやし-ひろもり

1831-1896 幕末-明治時代の雅楽家。
天保(てんぽう)2年11月25日生まれ。笙(しょう)の製作,演奏にすぐれた。明治3年宮内省雅楽局大伶人(れいじん)(楽人),のち伶人長となる。「君が代」作曲の代表者として知られる。明治29年4月5日死去。66歳。大坂出身。幼名は栄之助。前名は広金。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

林広守

没年:明治29.4.5(1896)
生年:天保2.11.25(1831.12.28)
幕末明治期の雅楽奏者。大坂四天王寺所属の楽家の出。天保12(1841)年より宮廷行事にも出仕。専門の笙だけでなく,舞,琵琶,笛,篳篥にも精通し,くわえて笙の簧の製作にも腕を振るった。慶応1(1865)年の上芸試験では,満点をかちえたほどの優秀な成績であった。明治新政府成立により明治2(1869)年東上し,26年の退官まで,雅楽局の大伶人として,伝承教習曲の選定,雅楽譜の作成,欧州楽の受容などにおいて,常に指導的立場にあった。「君が代」の選定者と目されている。<参考文献>田辺尚雄『明治音楽物語』

(蒲生美津子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大辞林 第三版の解説

はやしひろもり【林広守】

1831~1896) 雅楽家。大坂の人。「君が代」の公表上の作曲者。実際は奥好義おくよしいさが作曲。伶人長として活躍する一方で、保育唱歌の作曲に従事した。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

林広守
はやしひろもり
(1831―1896)

江戸末期から明治の雅楽家。笙(しょう)と右舞(うまい)を専門とする天王寺方(てんのうじかた)林家の、林広倫(ひろみち)の三男として大坂に生まれる。幼名栄之助。林広就(ひろなる)の養子となり、広金といったが広守と改名。笙の名手で、35歳のとき三方及第会(きゅうだいえ)という権威ある技術査定で満票を得たほどであった。1870年(明治3)東京に雅楽局が開設されると大伶人(たいれいじん)に任ぜられ、のち伶人長となる。84年には雅楽師副長、88年には雅楽部副長を歴任、93年に退官した。国歌『君が代』は、彼が伶人長のときの作曲として有名である。[橋本曜子]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

林広守の関連キーワード三方楽人四天王寺大学四天王寺式大阪府大阪市天王寺区四天王寺上真節高木習道京都方三方楽所天王寺方古四天王寺

今日のキーワード

プレミアムフライデー

経済産業省と日本経済団体連合会などの経済界の団体が個人消費を喚起するため、毎月末の金曜日に午後3時をめどに仕事を終えるよう企業に対応を呼びかけるキャンペーンの名称。2016年12月12日、政府と経済界...

続きを読む

コトバンク for iPhone