日本歴史地名大系 「柱島」の解説
柱島
はしらじま
- 山口県:岩国市
- 柱島
現岩国市東北端の岩国港から南方二五キロほどに散在する瀬戸内海の群島で、本島・
島名の初見は寿永三年(一一八四)四月二四日付の源頼朝下文案(賀茂別雷神社文書)で、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現岩国市東北端の岩国港から南方二五キロほどに散在する瀬戸内海の群島で、本島・
島名の初見は寿永三年(一一八四)四月二四日付の源頼朝下文案(賀茂別雷神社文書)で、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
山口県南東部の安芸灘(あきなだ)にある島。岩国市に属し、岩国港から26キロメートルの離島で、面積3.12平方キロメートル、人口220(2009)。近くに端島(はしま)(面積0.67平方キロメートル、人口48)や小柱島、手島、保高(ほだか)島などがあって、大小12の島群をなす。中世には伊予忽那(いよくつな)水軍に属し、近世には岩国吉川(きっかわ)氏の所領であった。1726年(享保11)の記録には、柱島の家数89軒、人口505、船数12とある。島内はよく耕地化され、ミカン園が多い。漁業は小型底引網や流し刺網、一本釣りが盛ん。島の沖合いは第二次世界大戦中、連合艦隊の停泊地で、戦艦陸奥(むつ)が爆発沈没したことで知られ、南端の州鼻に戦艦陸奥英霊之墓がある。北岸島尻(しまじり)の砂浜海岸は夏海水浴客でにぎわう。岩国港から定期船が運航している。
[三浦 肇]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ほとんどの島が愛媛県温泉郡中島町を形成する。このうち中島,睦月島,野忽那島,怒和(ぬわ)島,津和地島,二神島と柱島(山口県)はかつて忽那七島と呼ばれ,南朝方についた忽那氏の勢力範囲であったが,現在は柱島にかえて興居(ごご)島(松山市)を加え,忽那七島とする。七島のほか釣(つる)島(松山市),由利島,大館場(おおたちば)島,クダコ島など20余の島が含まれ,興居島を除いて離島振興法指定地域である。…
※「柱島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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