出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
周防(すおう)大島または大島ともいう。山口県の南東部に浮かぶ防予諸島の主島で,面積129.7km2,瀬戸内海第3の島。大部分が花コウ岩類からなる島であるが,西部の嘉納山(685m),文珠山などは安山岩からなる山地をつくっている。山稜の配置や海岸線の形態は西部では北西~南東方向,東部では北東~南西方向の断層系に支配されている。沈水性の島のため海岸線の出入りが多く低地に乏しいが,西岸の小松湾頭にやや広い屋代谷(屋代平野)が開けている。屋代島は開発の古い島で,《国造本紀(こくぞうほんぎ)》に〈大島国造〉が見え,平安時代の《和名抄》には大島郡屋代郷,美敷(みふ)(美敢(みかむ))郷,務理(むり)郷の名が見える。近世は長州藩に属し,久賀(くか)に大島宰判勘場(代官所)があった。明治以降は多くの海外移民を送り出したことで知られる。前島,浮(うか)島,情(なさけ)島,沖家室(おきかむろ)島,笠佐島などの付属島嶼(とうしよ)を含めて山口県大島郡(面積140km2,人口2万8750。1995)を構成しており,久賀,大島,東和,橘の4町があったが,2004年合併により全島で周防大島町となった。
旧久賀町は屋代島の北岸を占め,大島郡の行政・商業の中心で,久賀浦は小型底引網,一本釣りの漁村。嘉納山や嵩(だけ)山は展望にすぐれ,瀬戸内海国立公園の一部をなす。旧大島町は屋代島の西部を占め,島内ではやや広い低地に恵まれ,大島郡産米の9割弱を産出する。山口県下最後の製塩地開作(小松)塩田の跡地では250万尾のクルマエビが養殖されている。1976年大畠瀬戸をまたいで大島大橋(全長1020m)が架けられ,本土と結ばれた。旧東和町は中世の島末荘の地で,屋代島東部の細長い半島部を占め,農地の9割余がミカン園で,旧橘町とともに山口ミカンの主産地である。情島や沖家室島は一本釣りの漁村。旧橘町は屋代島の中央部を占め,東岸の日前(ひくま)は嘉永年間(1848-54)に始まった大島ミカンの発祥地で,ミカン産額は全県の約1/4を占める。南岸の安下庄(あげのしよう)浦は古くからの漁村である。
執筆者:三浦 肇
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