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柳公権 りゅうこうけんLiu Gong-quan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

柳公権
りゅうこうけん
Liu Gong-quan

[生]大暦13(778)
[没]咸通6(865)
中国,唐の書家。京兆華原県 (陝西省) の人。字は誠懸。官は侍書学士,中書舎人,河東郡公,太子太保を歴任。書は顔真卿に学び一家をなした。平明雅健な書風を特色とし,特に楷書が知られる。また,穆宗用筆の法を問われて,「心正しければ則ち筆正し。筆正しければ乃ち法とすべし」と答えたことは有名。代表作『玄秘塔碑』『神策軍紀聖徳碑』,敦煌から発見された『金剛経』,集帖の『翰林帖』など。

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百科事典マイペディアの解説

柳公権【りゅうこうけん】

中国,唐代の政治家書家。字は誠懸。陝西省の人。官は翰林侍書から太子太保に至り,没後太子大師を贈られた。楷書をよくし,顔真卿を学んだうえに諸家の長を取り入れ,勁媚(けいび)な書風で一家を成した。

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世界大百科事典 第2版の解説

りゅうこうけん【柳公権 Liǔ Gōng quán】

778‐865
中国,唐の政治家,書家。京兆華原(陝西省)の人。字は誠懸。元和(806‐820)初めの進士。40年も中央政府にあり,文芸と書とをもって諸帝に奉仕した。書は顔真卿の後継者とみなされるが,顔真卿に比べると細く,骨ばっていて勁媚(けいび)と評される。代表作に《金剛経》《玄秘塔碑》《神策軍紀聖徳碑》などがある。徳宗に対して,〈用筆は心にあり。心正しければ則ち筆正し〉と答えたことは有名である。【外山 軍治】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

柳公権
りゅうこうけん
(778―865)

中国、唐代後期の書家。字(あざな)は誠懸。京兆(けいちょう)華原県(陝西(せんせい)省)の人。元和(806~820)の初めに進士に及第し、穆(ぼく)宗に筆跡を認められて翰林(かんりん)侍書学士となり、ついで敬宗、文宗に仕えた。晩年には太子太保にまで至り、88歳で没した。書は初めは王羲之(おうぎし)を学び、さらに欧陽詢(おうようじゅん)や虞世南(ぐせいなん)などを広く学んで一家をなし、中年以降は顔真卿(がんしんけい)の書風がしだいに強くなった。よく「顔柳」と並称されるが、顔真卿よりも端正で骨ばった独自の書風を完成した。当時すでに名をなしていたが、現在でも中国では初学の手本としてよく習われている。穆宗に筆法を問われて、「用筆は心に在(あ)り、心正しければ筆正し」と答えたいわゆる「筆諫(ひっかん)の言」は有名である。『玄秘塔碑』『神策軍紀聖徳碑』『金剛般若(はんにゃ)経』などの作品がある。[筒井茂徳]
『中田勇次郎編『書道芸術4 顔真卿・柳公権』(1971・中央公論社) ▽『書跡名品叢刊134 玄秘塔碑』(1969・二玄社) ▽『書跡名品叢刊187 神策軍紀聖徳碑』(1974・二玄社)』

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世界大百科事典内の柳公権の言及

【書】より

…その代表作に,楷書の《多宝塔碑》《麻姑仙壇記》《顔氏家廟碑》などがあり,行草の《祭姪文稿》《祭伯文稿》《争坐位帖》はとくに有名で,三稿と呼ばれている。顔真卿より少し前に,李邕(りよう)(678‐747)が王羲之の書風を学んで多くの行書碑を書き,また顔真卿以後では,柳公権が顔真卿の書を受けついで,さらに勁媚な書風を築き,当時の貴族社会にもてはやされた。五代になると,唐の中ごろに起こった革新的な潮流はやや停滞したが,ひとり楊凝式(ようぎようしき)が現れ,懐素,顔真卿などの影響を受けて縦逸な草書に特色を発揮した。…

※「柳公権」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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