日本大百科全書(ニッポニカ) 「柳公権」の意味・わかりやすい解説
柳公権
りゅうこうけん
(778―865)
中国、唐代後期の書家。字(あざな)は誠懸。京兆(けいちょう)華原県(陝西(せんせい)省)の人。元和(806~820)の初めに進士に及第し、穆(ぼく)宗に筆跡を認められて翰林(かんりん)侍書学士となり、ついで敬宗、文宗に仕えた。晩年には太子太保にまで至り、88歳で没した。書は初めは王羲之(おうぎし)を学び、さらに欧陽詢(おうようじゅん)や虞世南(ぐせいなん)などを広く学んで一家をなし、中年以降は顔真卿(がんしんけい)の書風がしだいに強くなった。よく「顔柳」と並称されるが、顔真卿よりも端正で骨ばった独自の書風を完成した。当時すでに名をなしていたが、現在でも中国では初学の手本としてよく習われている。穆宗に筆法を問われて、「用筆は心に在(あ)り、心正しければ筆正し」と答えたいわゆる「筆諫(ひっかん)の言」は有名である。『玄秘塔碑』『神策軍紀聖徳碑』『金剛般若(はんにゃ)経』などの作品がある。
[筒井茂徳]
『中田勇次郎編『書道芸術4 顔真卿・柳公権』(1971・中央公論社)』▽『『書跡名品叢刊134 玄秘塔碑』(1969・二玄社)』▽『『書跡名品叢刊187 神策軍紀聖徳碑』(1974・二玄社)』