デジタル大辞泉
「柳営」の意味・読み・例文・類語
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りゅう‐えいリウ‥【柳営】
- 〘 名詞 〙 ( 中国漢の将軍周亜夫が匈奴(きょうど)征討の時に細柳という地に陣し、軍規正しく威令がよく行なわれたという「漢書‐周勃伝」の故事による )
- ① 出征中の将軍の陣営。幕府。
- [初出の実例]「漁客舟哥蘆浦雪、鴻賓陣引柳営霜」(出典:本朝無題詩(1162‐64頃)三・月下即事〈中原広俊〉)
- [その他の文献]〔盧綸‐送従叔程帰西川幕詩〕
- ② 将軍。将軍家。
- [初出の実例]「柳営の職には、卯の歳の人は、げに便有りける者かな」(出典:平治物語(1220頃か)下)
- ③ 幕府の所在地。
- [初出の実例]「自二華洛一至二柳営一、釈門在二枢楗一、仏家在二棟梁一」(出典:日蓮遺文‐立正安国論(1260))
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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柳営
将軍がいる場所を指すことば。
[使用例] 感情の食い違いが、主従の間に深くなるにつれ、国政日に荒んで、越前侯乱行の噂は江戸の柳営にさえ達した[菊池寛*忠直卿行状記|1918]
[由来] 「[史記]―周勃世家」に見える話から。紀元前二世紀、前漢王朝の時代の中国でのこと。周亜夫という将軍が、北方から侵入してくる異民族に備えるため、細柳(現在の陝西省内)という場所に陣営を構えていました。この陣営では、将軍の命令が徹底されていて、ねぎらいに訪れた皇帝その人でさえ、簡単には入れてもらえないほど。皇帝は感心して、「これこそが本当の将軍だなあ」と言ったということです。ここから、「細柳の営」ということばが生まれ、略して「柳営」といわれるようになりました。
出典 故事成語を知る辞典故事成語を知る辞典について 情報
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普及版 字通
「柳営」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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柳営
りゅうえい
中国で、出征中の将軍の陣営をいったが、日本では幕府や将軍、将軍家をいう。元来は細柳営の略で、軍規の正しい軍営を意味する。漢の文帝のとき、匈奴(きょうど)征伐に向かった将軍周亜夫は細柳に陣営を置いたが、ここは軍律正しく、威令がよく行われていた。文帝が視察したときも、他の陣営では自由に出入りできたが、細柳では軍中の礼によって厳しく処遇し、かえって帝の賞賛を得た、と伝える『漢書(かんじょ)』「周勃(しゅうぼつ)伝」の故事による。
[田所義行]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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柳営
りゅうえい
軍を率いる将軍が構える営所のことで,いわゆる幕府のこと。その所在地,また将軍・将軍家をもさす。中国の漢代,匈奴(きょうど)に備えるため,将軍周亜夫が細柳の地に営したとき,営中の軍令が厳正に行われ,訪れた文帝がそれに感嘆したという故事にもとづく。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の柳営の言及
【武家政治】より
…またこの頼朝は,1190年(建久1)に右近衛大将に任ぜられたが,この近衛大将は官職の唐名(中国名)で呼ぶと親衛大将軍,大将軍となる。また中国の古典的用法では,この大将軍が出征中に軍政をとる場所,すなわち将軍の幕営を幕府,柳営などと称した。そして幕府の語は大将軍(近衛大将)の居処の意味から転じて,大将軍そのものを指すに至り,頼朝の時代には一般に近衛大将を幕府,幕下と称した。…
※「柳営」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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