柳子新論(読み)リュウシシンロン

デジタル大辞泉 「柳子新論」の意味・読み・例文・類語

りゅうししんろん〔リウシシンロン〕【柳子新論】

江戸中期の思想書。1巻。山県大弐著。宝暦9年(1759)成立。柳子という架空の人物に託し、朱子学大義名分論立場から幕府批判し、勤王思想を主張した書。

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精選版 日本国語大辞典 「柳子新論」の意味・読み・例文・類語

りゅうししんろんリウシシンロン【柳子新論】

  1. 江戸中期の政治論。一巻。山県昌貞(大弐)著。宝暦九年(一七五九)成立。柳子という架空の人物の所見紹介という形をとり、朱子学的大義名分論にのっとり、幕政を批判、勤皇思想を鼓吹する。幕末の討幕論の先駆的論述の一つ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「柳子新論」の意味・わかりやすい解説

柳子新論
りゅうししんろん

江戸中期の思想家山県大弐(やまがただいに)の代表的著作。竹内式部(たけのうちしきぶ)らが幕府批判のゆえをもって処罰されたこと(宝暦(ほうれき)事件)を契機に、幕府の存在そのものへの批判を込めて1759年(宝暦9)成立。正名(せいめい)、得一人文、大体、文武、天民、編民、勧士、安民、守業通貨利害、富疆(ふきょう)の13篇(ぺん)からなる。大弐の父が20余年前旧宅跡から掘り出した古書で織田時代を模して書かれたとしているが、尊王斥覇(せきは)思想を根底に、天下の権を握る幕府・将軍家が大義名分の大道を忘れているゆえんを繰り返し述べ、これにかわる新たな為政者の出現を希望するという倒幕への実践的意欲を示した。1767年(明和4)の大弐処刑(明和(めいわ)事件)の原因をなす。

[山口宗之]

『広瀬広一編『山県大弐遺著』(1914・甲陽図書刊行会)』

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改訂新版 世界大百科事典 「柳子新論」の意味・わかりやすい解説

柳子新論 (りゅうししんろん)

山県大弐著。1巻。江戸中期の思想書・政道論。1759年(宝暦9)の成立。正名をはじめとして,得一,人文,大体,文武,天民,編民,勧士,安民,守業,通貨,利害,富強の13編より成る。全編を通じて朱子学的大義名分論に貫かれ,尊王斥覇思想によって幕藩体制下の政治・経済・社会状況を激しく批判している点に特徴がある。大弐自身は世をはばかって,みずからの著作とは認めず先人の作としている。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「柳子新論」の解説

柳子新論
りゅうししんろん

江戸中期の政治経済論。1巻。山県大弐(やまがただいに)著。1759年(宝暦9)成立。正名以下13編。尊王斥覇(そんのうせきは)の立場に立つ山崎闇斎学派と,尚農卑商論・礼楽制度論の立場から現実の社会矛盾と為政者の責任倫理を強調した荻生徂徠(おぎゅうそらい)の思想とを結びつけた,幕藩制解体期の政治批判書。神武以来の天皇家と藤原氏による政治を中国古代の理想世に劣らぬものと讃え,保元・平治の乱以後の武家政治を批判,また君主を安天下の責任主体として機能的に把握した結果,放伐(ほうばつ)を肯定している点が特徴的である。「岩波文庫」「日本思想大系」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「柳子新論」の解説

柳子新論
りゅうししんろん

江戸中期,山県大弐の著書
1759年成立。1巻。朱子学的大義名分論により尊王を説き幕政を批判した。尊王斥覇の思想が幕府で問題となった最初のもの。

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