江戸中期の儒者、兵学者。名は昌貞、字(あざな)は公勝。大弐は通称。柳荘と号した。享保(きょうほう)10年甲斐(かい)国(山梨県)巨摩(こま)郡篠原村に村瀬為信(むらせためのぶ)(別に山県または野沢昌高(のざわまさたか)とも称した)の次子として生まれる。父は郷士、のち甲府の与力となる。先祖は武田(たけだ)氏の部将山県昌景(まさかげ)(?―1575)という。少時国学を山崎闇斎(やまざきあんさい)の流れをくむ加賀美桜塢(かがみおうう)(光章(みつあき)、1711―1782)に、儒学を太宰春台(だざいしゅんだい)の高弟五味釜川(ごみふせん)(国鼎(こくてい)、1718―1754)に学んだ。弟の殺人事件に絡む兄の与力改易に伴い村瀬姓から本姓山県に復し、江戸へ出て大岡忠光(おおおかただみつ)に仕えて、1751年(宝暦1)上総(かずさ)国(千葉県)勝浦の忠光の領地の代官となった。忠光が側用人(そばようにん)、武蔵(むさし)国(埼玉県)岩槻(いわつき)城主となると、大弐も江戸藩邸出仕となり、医官兼儒者として忠光の側近に侍した。仕官中の1758年に京都で竹内式部(たけのうちしきぶ)の宝暦(ほうれき)事件が起きているが、この事件は大弐に衝撃を与えたとされる。おりから大弐は匿名で『柳子(りゅうし)新論』を著述中(1759年2月成稿)であったが、同書中で幕府の秕政(ひせい)を批判し、朝権が衰え武威が盛んなるさまを慨嘆して、倒幕思想を暗々裏に展開していた。1760年に主君忠光が死ぬと大岡家を致仕し、浪人学者として江戸八丁堀長沢町(東京都中央区)に塾を開き儒学・兵学を講義したが、大いに栄え、その門に学ぶ諸藩士・浪人などが多かった。この長沢町時代に医学書、兵書、天文書、和算書など数々の著述をしたことも注目される。1766年(明和3)12月明和(めいわ)事件が起き、大弐は同居中の藤井右門(ふじいうもん)とあわせて逮捕され、翌1767年8月21日死罪の判決が下り翌日刑死した。43歳。
[山田忠雄 2016年7月19日]
江戸中期の行動的反幕府思想家。諱(いみな)は昌貞,字は公勝,号に柳荘,洞斎などがあり,大弐は通称の一つ。初め三之助を称した。甲斐に生まれ,与力村瀬氏を継いだが家をつぶされて山県姓に戻り,江戸に出て医者や兵学塾などで生計を立てようと試みた。一時期,若年寄大岡忠光に仕えてその所領だった上総勝浦の代官を務めた。彼の主著《柳子新論》は勝浦時代に書き始められる。側用人に進んだ忠光が1760年(宝暦10)に死ぬと再び浪人に戻ったが,そのときには,孟子の思想をさらに徹底させた放伐論の持主であることが世間に知られて,藤井右門を通じて宝暦事件の竹内式部とも連絡がつきかけていた。弟子もしだいに増え,上野小幡藩の若い家老吉田玄蕃はとりわけ心服した。64年(明和1)からの大一揆で世情が騒然としてくると,幕府は67年謀反の疑いで大弐を捕縛し死刑に処した。右門は牢死した。明和事件である。
執筆者:松浦 玲
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1725~67.8.22
江戸中期の儒学者。名は昌貞,字は子恒,通称を軍治,のち大弐。甲斐国生れ。甲府与力のとき,弟が殺人逃亡をはかったため改易。江戸で若年寄大岡忠光に仕え,忠光の死後辞去し,江戸八丁堀に家塾を開いて,古文辞学の立場から儒学や兵学を講じた。上野国小幡藩家老吉田玄蕃(げんば)ら多くの藩士を弟子としたが同藩の内紛に巻き込まれ,1766年(明和3)門弟に謀反の企てがあると密告されて捕らえられ,翌年幕府を憚る議論をしたとの理由で処刑された。著書「柳子(りゅうし)新論」。
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…後期になると,1750年(寛延3)養蚕地帯の八代,山梨両郡惣百姓が新規運上に反対して運上請負人を打ちこわした米倉(よねぐら)騒動,92年(寛政4)田安領における反動政策と手代の不正を糾弾した54ヵ村越訴の太枡(ふとます)騒動,1836年(天保7)郡内領にはじまり甲府町方のほか国中地方の106ヵ村にわたる豪農・富商305軒を打ちこわし,甲斐国内を無政府状態と化した天保郡内騒動などがあった。 近世を通して文化面での展開にとぼしいが,崎門派の加賀美光章と蘐園(けんえん)学派の五味釜川に学んだ山県大弐は江戸に出てのち著した《柳子新論》で知られる。廻国修行を発願し木食戒をもって各地に千体仏を刻んだ木喰行道の活動も有名である。…
…山県大弐著。1巻。…
※「山県大弐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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