ノンフィクション作家。栃木県鹿沼(かぬま)市生まれ。1960年(昭和35)、東京大学経済学部卒業。NHK記者を経て1974年よりフリーランスとなる。
1972年、続発する航空機事故について、原因を個人のミスに還元するのではなく、そもそもミスはなぜ起こるのかという観点で書かれたノンフィクション『マッハの恐怖』を発表。同書で大宅壮一(おおやそういち)ノンフィクション賞受賞。記者として、多数の事故現場、災害現場を取材したことは、その後の柳田の根幹となった。また、このころから機械やテクノロジーと人間との関係、生と死、医療の問題などに関心を向け、1979年『ガン回廊の朝(あした)』を発表。同書は1962年に設立された国立がんセンター(現、国立がん研究センター)と、そこに全国から集められた医療技術者たちのがん撲滅への闘いを描いたもので、気管支ファイバースコープなど医療機器の開発や発がん物質の究明、肝臓がん手術の成功など、機械と技術の発展を、それを支える人間のドラマとからめて活写し、『マッハの恐怖』に続いて、柳田の独自の視点、スタイルを確立する。1979年、同書で講談社ノンフィクション賞を受賞。その後も柳田はがんと患者・医師を描いた作品を発表し続け、『明日に刻む闘い――ガン回廊の報告』『ガン50人の勇気』(1981)、『ガン回廊の炎』(1989)などを書き継ぐ。1983年アメリカ・スリーマイル島原子力発電所で起きた実際の事故を追いながら、巨大システムと事故、安全性についてドキュメントする『恐怖の2時間18分』を発表。柳田が提唱する概念のひとつに「フェイル・セーフ」がある。事故の根底には、そもそも人間がミスを犯しやすい環境やミスを拡大させる環境があるのではないかと柳田は指摘し、そして、ミスを個人的責任に還元するのではなく、ミスが発生しにくい環境づくり、ミスが発生しても修正可能な環境づくりを呼びかける。実際この提唱に基づいて地震や火山噴火などに関するハザードマップづくりが行われ、「フェイル・セーフ」はすこしずつ実現しつつある。
1985年『撃墜――大韓航空機事件』『マリコ』などがボーン・上田記念国際記者賞を受賞。『マリコ』は日本人外交官を父に、アメリカ人を母にもち、第二次世界大戦直前、日米間の緊張が高まるなか、暗号名にもその名を使われた女性を通じて描いた日米戦中戦後史である。一方、零戦(ぜろせん)とグラマンの対決という局面で太平洋戦争を分析し、日米の技術差、国力の差として描いた『零戦燃ゆ』(1984)という作品もある。1992年(平成4)より柳田の編集による『同時代ノンフィクション選集』全12巻が刊行開始。その後、戦後ノンフィクションの流れを総括的に論じた『人間の事実』(1997)を発表。
1993年次男が自殺を図り、脳死状態に陥る。11日後の死に至るまで、柳田は脳死や臓器移植について考え続け、尊厳ある死、そして生の意味について問う。この体験をノンフィクションにした『犠牲(サクリファイス)――わが息子・脳死の11日』(1995)はベストセラーとなり、同年ノンフィクション・ジャンル確立への貢献も加えて菊池寛(きくちかん)賞を受賞した。2000年(平成12)、脳死寸前の状態に陥った患者を蘇生させる新技術、脳低温療法をめぐって、医師や看護師、患者、家族などの姿を描いたドキュメント『脳治療革命の朝』を発表。1987年NHK放送文化賞受賞。1990年日本対ガン協会賞受賞。
[永江 朗]
『『マッハの恐怖』『マリコ』(新潮文庫)』▽『『ガン回廊の朝』上下『ガン回廊の炎』上下『撃墜――大韓航空機事件』上下(講談社文庫)』▽『『明日に刻む闘い――ガン回廊の報告』『ガン50人の勇気』『恐怖の2時間18分』『零戦燃ゆ』『犠牲――わが息子・脳死の11日』『脳治療革命の朝』『生きがいをもとめて――人間の事実1』『転機に立つ日本人――人間の事実2』(文春文庫)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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